動物園と学校の息の長い連携
1月28日は日本モンキーセンターの研究幹事会だった。自宅も職場も近所なのに用事があるときしか行ってないことに恐縮しつつ出席したが、モンキーセンターの今年度のすぐれた取り組みを多数聞くことができて有意義だった。
僕がまだ所属していたころから、学芸部門は積極的に学校との連携を模索していた。それから5年近くたって、学校と連携した学習活動の実践が見事に花開いていた。貪欲なスタッフのみなさんは「まだまだこれから」と言うかもしれないが、傍目には、動物園が主体的に行う教育活動としてはかなり突出したものに映る。今や犬山市に4つある中学校のうち3校がモンキーセンターでの学習活動を理科の授業にとりいれているのをはじめ、犬山市を中心に近隣の小中学校の単なる「利用」ではなく「連携」先となっている。
特長的なのは、学芸スタッフが連携校の先生がたと顔の見える息の長い関係を作っていることだ。パッケージ化された学習プログラムを「どうぞご自由にお使いください」と提供するのでも、学校側が単にモンキーセンターを教材として使うのでもなく、先生と学芸スタッフが一緒になって、子どもたちがモンキーセンターで何を学べるかを考え、実践してゆく。すべてがオーダーメイドだ。小学生むけ学習プランを紹介するチラシをもらい、「メニュー」のいくつかをうちの大学の子ども学部の学生に体験させることはできないかと尋ねたら、「これは単なる例で、プログラムは学校と相談しながら作るんですよ。」と言われた。そういえばそうだったね。昔からずっと。
このような連携が可能になったことは、もちろん地域の学校の先生がたの熱意に負うところも多いだろう。だが、TさんやAさんをはじめとしたモンキーセンター学芸スタッフの教育活動に対するユニークな姿勢も大きい。その姿勢とは
モンキーセンターには子どもが学習すべきことがある
というものだ。
動物園や博物館と学校の連携活動が新聞やテレビで紹介されるとき、たいていの場合「〇〇の展示や資料を学習に活用してもらおうと」という枕がつく。そこには「活用しなかったら困るというわけではない」というニュアンスがある。実際、活用されなくて困るのは来場者の少ない動物園のほうで学校ではないと言う人もいる。そういうニュアンスで連携活動を行うところは、ひたすら学校の都合に配慮するか、逆に「丸投げ」されてパッケージかされた学習プログラムを提供するだけだったりする。
モンキーセンターのスタッフは違う。彼らには子どもたちに伝えたいこと、学んでほしいことがあり、それをなんとかして子どもたちに届けたいと願っている。その情熱が先生がたを動かし、時間割調整や引率などの負担をものともせずモンキーセンターでの学習活動を継続する学校が増えているのだろう。
顔の見える息の長い連携を継続するためには、動物園・学校の双方が相当の労力を活動に投入する必要がある。研究幹事会の場でも、学習利用が増えてうれしいが、増えすぎるとキャパを超えてしまいクオリティを保つのが大変だという現状が報告された。また先生がたも生徒を引率する前後に何度も何度もセンターに打ち合わせに足を運ぶ。日々の授業と生徒指導をしながら、大変なご苦労である。
もっとも、真剣な連携はかように大変だからこそ、出来合いのパッケージの「活用」という利用形態が一般的なのだろう。また、そうした活動はコンテンツが「見えやすい」ため報道されやすい(「先生が学校からホームページにアクセスして、希望するコンテンツを選んでクリックすると予約までできちゃうんです。」みたいな)。でも、僕自身も子ども向け学習イベントや講座をやってみて感じることだが、「既製品」って印象に残らないんだよね。しかも、そういうのって事前学習や事後学習がないか、あったとしてもおざなりなことが多いし。
そんなわけで、研究幹事会では僕が出てからのモンキーセンターの学芸部門の躍進ぶりに目を見張るとともに、パンク寸前といいながら充実した顔をしている元リサーチ、現学芸のTくんがちょっとうらやましかったりもしたのだが、学芸が提供するコンテンツの根幹にあるのは学問全体の研究成果なわけで、かれらの実践をサポートするためにも、自分の研究をしっかりしなくてはと思った週末である。
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