2010年5月 7日

家族論を学ぶ人のために(中川淳編 1999)

今年の目標in Japanのひとつ、家族論。 ちょっと古いけど、家族論を学ぶ人のためにを読んだ。

2部構成で、第1部はさまざまな学問分野の人が、それぞれの立場から「家族とはなにか」「家族」にどうとりくめばよいか、といったことを論じている、第2部は家族をめぐる(ということになっていそうな)現代の諸問題〜夫婦別姓、生殖医療、ファミリーバイオレンスなど〜をとりあげ、その分野の方々が現状についての報告をされている。ひとつひとつの論文が短くて、読みやすかった。しかし、内容は玉石混淆という感じだ。ただ、それも含め、どういう分野の人がどのように「家族」を捉えているのかがわかり、おもしろかった。

現在の家族の理念型は、婚姻関係にある成年男女とその未成熟な子からなる、(しばしば同居する)社会集団である、というのが、執筆陣に、そしておそらく社会全体においても、おおむね共有された理解である。ただ、それは「家族」の定義がそうだということを必ずしも意味しない。

とくに第1部の執筆陣には、この理念型は家族のありかたのひとつであり、家族とはなにか、という問題はもっと掘り下げて考えてもいい、というスタンスの人が多い。もちろん僕もその意見に賛成だ。

一方、第1部では1章の哲学、3章の教育学、7章の社会福祉学の立場の論者が、そして第2部のすべての執筆者が、この家族の理念型を議論の前提としているように思えた。もっとも「哲学」という分野全体がそうであるとは到底思えないわけだが、教育学や社会福祉学については、僕の周囲にいる人たちをみても、おおむねこの家族の理念型を家族そのものと捉える人達が多いように思える。

また、家族援助や生殖医療の前線にいる人々にとって、家族とはなにか、という問いはさほど重要でないのだなあとも感じた。はっきりいって、第2部の各論文は「家族論」の一部として書かれているように思えないものがほとんどだった。

しかし、実はこのことこそ、家族論の現状であるともいえる。家族について考えることと、家族の問題にかかわることとの大きな断絶である。

はたして、家族論をやることは現代の家族問題に何らかの貢献をすることにつながるのだろうか。そんな疑問さえわいてくる。

そんななか、第1部第2章でとりあげられていた家族心理学という分野はおもしろそうだ。家族を実在ととらえ、理念型をあてはめるのではなく、ひとつのシステムとして、その形と意味の多様性をさぐってゆこうという姿勢は共感できる。家族心理学会に入ってみるか、検討しよう。