2009年9月25日

NHKの取材

昨日、とつぜん取材をうけた。
NHKの報道のカメラマンの、Sさんという方から昼に電話があり、「ガボン」について調べているので、ぜひこれから話を聞きたいという。

「これから?」
「はい。実は私今東京駅なんです。OKでたらすぐ乗ります。」
「へー。」

というわけで、夕方大学で取材を受ける。電話の声で想像していたより若い、僕と同年代の人だろうか。
1時間程度、ガボンや、僕たちのプロジェクトについてとりとめもなく話をする。個人的には、中国の進出に興味がおありだという。

なんにせよ、ガボンという国は日本ではほとんど知られていないし、紹介されることがあっても、ほとんどが「地下資源」と「自然」だ。ガボンの「人」が注目されることは、国際的にもほとんどない。だから、ぜひガボンの人々を紹介してほしいと思う。

ちなみに、僕を知ったのは、このブログだとか。「ガボン」でぐぐると、僕がトップに出てくるらしい。ほんとかな。

2009年9月24日

ガボンで類人猿調査をするには?(8) 旅行3 リーブルビル

あいだにガボン旅行をはさんで、調査マニュアルもどきの第8回は、リーブルビルの過ごしかた。


重要な場所

いろんなスポットについて、詳しく書くのがめんどくさくなったので、下のマイマップをご参照あれ。


より大きな地図で リーブルビル案内 を表示

生活案内

タクシー

リーブルビルの空港は、市街地から自動車で約20分くらい北にある。タクシーで市街地までゆくと2,000XFA。

市内の交通は、タクシー、タクシー、タクシー。乗合で一回100XFA。適当なところで手をあげると止まるので、行き先をつげる。しかし、遠かったり、ドライバーにとって実入りが悪いエリアに行くときなどは、100では乗車拒否される。その場合は200とか300と言って交渉する。

朝夕の混雑する時間帯や、昼飯どきなどは、混む道はドライバーに敬遠される。急ぎのときは、1,000XFAと言うとたいていとところまで連れていってくれる。

外国人はふっかけられる。といっても、1,000と言えばたいていいける。しかし、がんばってみるのも楽しい。何度も何度も乗車拒否されると、ああ、日本っていいなぁ、と思う。

慣れてくると、遠いところでも上手に乗り継ぎして安くでいくことができる。たとえば、市街地のホームセンターCK2で買い物をして、カルチエLouisのホテルEclipseまで戻るとしよう。CK2の前で「Louis」と言っても、かなりの確率で拒否されるか、「1,000?」といわれたりする。

そこで、まずCK2の前では「Jeanne Ebori」と言ってみる。上の地図で確認してほしいが、海沿いの道路からカルチエLouisに登る道の分岐点にある病院だ。そこまでは、たいてい100でゆける。

で、そこから「Marche Louis」とか「Hotel Eclipse」と言えば確実に100でゆける。もっとも、僕はめんどうくさいから歩いちゃうけど。

そう。リーブルビルは狭い。実は、距離的にはほとんど徒歩圏内で用が足せる。が、日中は暑いので、タクシーで早く用事をすませたい。

買い物

調査のための大きな買い物は、MboloかCK2で。食料品ならCecado Geantあたり。発電機などの機械類は、南のOloumiというカルチエにあるSogam Equipeがよい。

リーブルビルで過ごすためのこまごましたものは、LouisにあるTop Marche Louisか、あとは市場。市場は小規模なものがカルチエLouisにあるし、Gare Routierの近くにMont Bouetという大きな市場がある。

食べる

カルチエLouisのあたりには、たくさんレストランがあって困らない。中華などアジア系や、白人がくるようなレストランでは一食5,000XFAは覚悟すること。小さなレストランだと、2,500〜3,000くらいで一皿料理を食べられる。

また、ムスリムの人たちが、Cafetteというカフェテリアをあっちこっちでやっている。モーニングコーヒーとフランスパン半分のセットで500XFA。油ぎったスパゲティなどが1,200くらいで食べられる。朝食はほかに、サンドイッチの屋台という手もある。道のあちこちで売っている。500XFA。

夜になると、街角にバーベキューの屋台がでる。焼き肉の串1本が200XFA。魚は大きさにもよるが、3,000も出せば2、3人で分配して食べられる。マニオクやバナナをつけて、ひとり1,500くらいでおなかいっぱいになれる。

屋台の脇にはビールを出すテラスがあって、そこで飲みながら食べる。ビールは別料金。ガボンのビールRegabは320XFA。ギネスでも500くらいだが、これを高いレストランで頼むとRegabが一本3,000したりするからびっくりだ。

泊まる

ホテルは上の地図を参照のこと。

とりいそぎ。あとでさらに情報を追記します。

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2009年9月23日

Q+A-What happens next in Gabon? | Reuters

ロイターの報道によると、ガボンの大統領選挙の結果は、まだ正式に認定されていないらしい。

6月に、長期政権だったオマール・ボンゴ・オンディンバ大統領が在任中に死去し、その後継者を決める選挙が、僕がいるあいだの8月30日(日本の衆議院選と同じ日!)にあった。即日開票し、9月3日に息子のアリー・ベン・ボンゴ氏の当選が発表されたが、対立候補たちがこれを不服として、公式に異議申立をしているとのこと。

Q+A-What happens next in Gabon? | Reuters
http://www.reuters.com/article/latestCrisis/idUSLM375099

事前に予想していたより、決着が長びいている。といっても、流血の事態は比較的小規模で、かつすみやかに終息したようだ。しかし、こんなふうに静かな状態で最終決着を迎えることになるというのも、ちょっと不安だ。

2009年9月18日

帰国

8月14日に日本を出発して、ちょうど5週間目の昨日(9月17日)に帰国した。今回もダニにたくさんやられて、まだそこかしこに「顎」が残ってちくちくする。

以下に、簡単な日程のサマリを。

8/14夕、パリで京大院生のH君と合流。Annette & Marcel Hladick夫妻と面会。10月の来日のことなど相談する。おふたりともあいかわらずお話好きで、しかもおもしろい。

16日にリーブルビルへ移動。こないだ来日した熱帯生態学研究所のP君が彼女と一緒に空港に迎えにきてくれた。

JICAの調印式があることを到着してから知る。急遽、JICAのHさんにジャケットとネクタイを借りて出席。調印式の夜には大使館でレセプション。

大急ぎで買い物をして20日に出発。京大チームの車が故障中だったので、JICAの車を出してもらう。P君、H君と僕、それにJOCVのSさんというメンバー。Sさんはガボンの北のほうで幼児教育の支援を行っているという。子ども学科の僕としては奇遇だ。

21日、チバンガで買い物してドゥサラ入り。車の積載が少なかったため、チバンガ-ドゥサラ間を2往復しなくてはならなかった。買い物はH君、P君に任せて村で飲む。

22日、キャンプに移動。発電機は壊れている、テントはない、トラッカーたちがたくさん不満を抱えているなど、なかなかtoughな状況。まあでもそのほうが僕に合っているといえばあっている。

23日から踏査開始。初日はみんな一緒に歩き、GGと再開。Sさん感動。24日は徒歩で久しぶりに昔のキャンプを訪問。帰り道でチンプを見る。25日、JOCVのSさん帰る。

29日、R大のSさんが6年ぶりにキャンプに到着。一緒に仕事をするのは98年以来...10年ぶりだ。しかし、翌30日は大統領選挙のためすべてのトラッカーと一緒にドゥサラに出なくてはならなくなった。奇しくも日本の衆議院選挙の日だった。

大きな混乱もなく投票がおわったので翌31日にキャンプに戻る。村の宿泊は精神的に疲れる。

ラジオで選挙の結果を注視しつつ踏査。チンパンジーは、声はすれども姿が見えず。雨期は声を頼りに彼等を発見するのが容易だが、乾期は細かく離合集散をしており、移動中はかなり分散するらしく、「声のところ」まで行ってもなかなか見つけられなかった。

9月3日午後、恒例の「レユニオン」。トラッカーたちとの団体交渉だ。日本人の留守中にずいぶんいろいろ問題があったらしく、すべてのトラッカーの連盟の「連判状」をもらっており、toughなものになると予想されたが、「渾身の大演説」で誠意が通じたか、すんなり終わる。

4日から再び踏査。自分では楽に終わったと思っていたレユニオンだが、予想以上に精神的後遺症が残り、気持的にちょっとつらい日々となった。でも、チンプの遊動における雨期と乾期の違いがかなり明瞭にあるということがわかってよかった。

10日、村で「フェット」。こちらがヤギと米と酒を提供し、村がニワトリ、魚、マニオク、バナナを提供する恒例行事。ヤギの解体作業を完全撮影。久しぶりにいろんな村人とじっくり話すことができてよかった。

11日、踏査最終日。GGを追跡し、マワタとママノワールにチャージされるが、パパがマワタを諫めてくれて事なきを得る。って、そんなに危機的な状況じゃなかったけど。

12日、熱帯生態学研究所の運転手がJICAの車で迎えにきてくれた。フガムに一泊し、翌13日リーブルビル着。京大のYさん、I君と合流。日本人5人が大集合だ。午後、熱帯生態学研究所でJICAプロジェクトについて合同会議。そういえばYさんとアフリカで一緒になるのは98年以来だ。

14日、Yさん、I君、H君はフランスビルの医科学研究所へ移動。僕らはおみやげ買ったり、大使館にごあいさつに行ったり。

15日、JOCVのSさんにガボンの幼児教育の現状や支援の内容についてインタビュー。いちおう、子ども学科への手土産のつもりだが、果たして興味をもつ人がいるかどうか...。夜の便で出発し、翌16日の朝にパリに到着。空港でSさんと別れ、街で家族へのおみやげを買う。夕方出発し17日昼すぎに帰国。スーツケース破損。空港から直接大学へゆき、学科会議。

と、だいたいこんなであった。ここを見ている京大人類の人のために付記しておくと、H君、まだマンドリル見れてません。けど元気でやってます。彼ならきっといい仕事ができるでしょう。