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2010年8月10日

2010年度ガボン調査

ツイッターをはじめたらブログ更新しなくなるかもと思っていたら、そのとおりになってしまった。去年から、ブログはブログでしっかり書こうと、わりとがんばってきたのだけれど。今後どうするか、少し考えます。

それはさておき、今日からガボン。今回は超短期。帰国は8月31日。JICAプロジェクトの総合調査の総括と、チンパンジーの調査が目的だ。チンパンジー、しっかり見てこよう。

2010年3月13日

リーブルビルに戻る


少し、というかかなり早めにリーブルビルに戻ってきた。現地2週間だ。ほんとうはあさってまで調査地にいる予定だったが、リーブルビルでカウンターパートのIRETと調整しなくてはならないことがたくさんあって、時間に余裕をみて戻らないとまたコミュニケーションエラーが生じると思い、予定を早めた。

今回は、今までとは全然別の意味で疲れた。今回は、哺乳類相の総合調査にむけた予備調査とIRETの研究者のトレーニングが目的。3人の研究者を連れて森へ入った。この3人がおそろしく勉強好きなのだ。毎日、森の中で質問、キャンプに戻って質問。質問ぜめだ。しかもなかなかいい質問をする。こっちの勉強不足が試されているかのようだった。

その一方で、研究技能に関する質問は、えーー、そんなことも? と思うような物が多かったり、データを入力してみてね、と言ったらワープロソフトの表機能を使って入力しちゃったりとか、これはこれで大変だった。

しかし、こうしたやりとりを通じて、ガボンの研究者たちの研究環境が見えてきた。彼らには、日本の大学の学部で行われるような「基礎教育」が相当不足しているのだ。知識と手作業は習うのだが、自分で物をあきらかにするための基礎的な技術が足りない。

なるほどそうかぁ、と納得したところで、彼らの質問はとまらない。基礎技能が足りないから、だいたい説明して「あとは自分でやってね」と言うことができない。手取り足取り教えなくてはならない。しかし、やってる作業の意味は理解しているので、「実習だし、時間もないから」と考えて入力でずるをしたりすると、「それっておかしいんじゃない?」と聞かれてしまう。

そんなこんなで、くたびれました。けどまだ終わらない。来週の月曜日は研究室でRの導入講義をすることになった。はぁ。

2010年2月23日

ようやくキャンプへ


リーブルビルに到着して一週間、ようやく調査地へ移動できるめどが立った。最近では、これほど時間がかかったのは久しぶりだ。

キャンプ入りが遅れた原因は、調査許可の遅れだ。JICAのプロジェクトが始まって以降、いろんなことの規模が大きくなったため、日本人研究者とガボン側の意思疎通がなかなかうまくゆかなくなり、先方にさまざまな不満がたまっていたようだ。

結局、いつものように、じっくり議論することで相互理解にいたることができた。けれど、プロジェクト運用上でカウンターパートと齟齬が生じた場合、それを解決するのは専門家の役割なのかなぁ、とか、僕より先に入っている人たちも、もうちょっと先方とのコミュニケーションを密にしてくれないかなぁ、とか、愚痴を言いたくなったりして。

ともあれ、ようやく調査だ。運営管理はあくまで二次的な仕事。頭を切替えてゆこう。
同行している京大のNくん、とても優秀で、刺激になる。森を歩くのが楽しみだ。

2010年2月14日

出発


明日から一ヶ月、ガボンへ行ってきます。JST地球規模課題対応国際科学技術協力事業の一環で、今回は初めてJICAの専門家としての派遣になる。だからといって、渡航の準備に今までと違うことがあったわけではないけれど。

直前まで大学の残務処理でばたばたして、ほかの教職員のみなさんには大変お世話になった。また、昨日、おとといと「犬山落語の会」のイベントに参加して、大喜利なんかしたりして、旅行前の気持ちをととのえることができた。

毎度のことだが、問題山積のフィールドへと旅立つ。実は明日中部空港でいきなり面倒があるのだけれど、JICA専門家になろうがなんだろうが、こういう面倒はなくならないのね。と、何年も前に悟ったはずだが、まあ、面倒は面倒だ。けど、文句いってもしょうがないし、1995年のNdokiの森の苛酷な生活よりもしんどい思いはしていない。だから今回も大丈夫。

というわけで、いってきます。なにはともあれ、花粉と寒さからエスケープできるのはうれしい。

2010年1月15日

ガボン、カメルーンに雪辱

サッカーのアフリカ選手権の予選で、ガボンがカメルーンを1:0で下した。

今さら...。

しかし、これでガボンが日本との強化試合に呼ばれる可能性がでた...かもしれない。

2009年12月 5日

JB2010 日本は一次リーグでカメルーンと対戦

2010 FIFA World Cup Final Draw

日本は一次リーグEグループで、オランダ、デンマーク、カメルーンと対戦。
ガボンが出てりゃあなぁ。

ガボンを日本に呼んで強化試合しないかな。

2009年11月15日

ガボン、WC予選敗退

昨日、2010年FiFAワールドカップ南ア大会のアフリカ予選の試合がおこなわれ、ガボンはトーゴに0-1で破れた。同時におこなわれたカメルーンとモロッコの試合で、カメルーンが2-0で勝利したため、カメルーンの予選A組1位が確定した。ガボンは初出場の機会を逃した。

直接対決の2連敗がなぁ。

2009年10月23日

ガボンの新大統領確定

ここしばらくニュースをチェックしていなかったが、10月12日付のBBC Worldの記事によると、ガボンの憲法裁判所は票の数えなおしの結果、やはり Ali Ben Bongo Ondimba 氏の当選が確定したという裁定を下したそうだ。

とにもかくにも、どんよりと長びいたガボンの大統領選はようやく終結した。

2009年10月22日

L'Odika

学生たちとガボン料理「L'Odika」を作り、「なんちゃってウガリ」と一緒に食べた。
だいたい、日本でアフリカ料理をするといまひとつなんだが、今回はおいしかった。

L'Odikaとはガボンの代表的な料理で、Irvingia gabonensis (和名をアフリカマンゴノキという)という木のナッツを挽いたもの (ガボンでは「ショコラ」と呼ばれる)を使ったソースで食べる肉料理だ。

作りかた:

L'Odika
  1. フライパンに油をひいて、鶏でも豚でも牛でも、肉をこんがりと焼く。肉は塩胡椒で下味をつけておくとよい。
  2. 肉をいったんどけて、少し油を足して玉葱をゆっくりいためる。好みで他の野菜(ピーマンなど)を入れてもよい。
  3. 野菜に火が通ったら、水を足して、マギーブイヨンを入れて軽く煮る。マギーブイヨンがなければコンソメスープのもとでもよい。トウガラシもいれる(タカノツメでOK)
  4. 弱火にしてショコラを入れる。ショコラは日本には売っていないので、ガボンで買って持ってくるか、持ってきた人にわけてもらう。
  5. 香りがでて、とろみがついてきたら、Odikaソースのできあがり。
  6. 肉を皿にもりつけ、ソースをかける。
なんちゃってウガリ、またはなんちゃってフフ
  1. お湯を沸騰させる。
  2. ボウルか鍋に沸騰したお湯を入れる。
  3. ウガリの場合はコーンスターチ、フフの場合はタピオカスターチをどばっとお湯に入れる。
  4. しゃもじや大きなすりこぎで手早くかきまわす。
  5. つきかけのおもちのような感じになったらできあがり。
ウガリ or フフは、かきまわすのにかなり力がいる。椅子に腰掛け、大鍋を両足で挟んで長いすりこぎでぐいぐいかきまわさないと、粉っぽさがなかなかとれない。

あとで学生に写真をもらって追記します。

続きを読む "L'Odika"

2009年10月15日

トーゴ戦に期待

もちろん、日本代表のことではない。ガボン代表のことだ。

トーゴ代表が日本に来ると知って驚いた。「ガボンのW杯出場は夢におわるか?」に書いたように、ほんのちょっと前にカメルーンに完敗したばかりだったからだ。

その上、協会と選手が揉めているとか、選手はすっかりモチベーションを失なっているという。そして日本戦でのあのていたらく。

これは、期待できるかも。ガボンが大量点をとれば得失点差で...と思ったら、得失点差が問題になるのはガボンがひきわけた時だった。

でもまあとにかく、トーゴには勝てる可能性が高いということで、消えかけた希望の灯が再びともったといえよう。

2009年10月12日

ガボンのW杯初出場は夢におわるか?

昨日、サッカーの2010年南アフリカW杯アフリカ最終予選A組の試合があり、われらがガボンはモロッコに3対1で勝利した。しかし、A組1位のカメルーンもトーゴを3対0で下し、ガボンの逆転はならなかった。

現在ガボンは3勝2杯、勝ち点9でA組2位。カメルーンは3勝1敗1分で勝ち点10。最終結果は11月14日のガボン-トーゴ、カメルーン-モロッコ戦にもちこされた。

ガボンがW杯に出場する条件は、次のとおり。次のトーゴ戦に勝ち、かつカメルーンがモロッコに負けるか引きわけること。もしくは、トーゴ戦で引き分け、かつカメルーンがモロッコに3点差以上で負けること。

一方のカメルーンは、モロッコに勝てばガボンの結果にかかわらず出場決定。負けても、ガボンが負けなら、カメルーン。ガボンが引き分け、カメルーンが負ければ得失点差の勝負になる。現在得失点差はカメルーンが5、ガボンが3だ。

う〜ん。やっぱり9月にカメルーンに2連敗したのがいたかった。

カメルーンがモロッコに大敗することは考えにくい。ガボンが勝てば、カメルーンも勝利しかなくなるわけだから、早い時間に勝ちを確定的にして、カメルーンにプレッシャーを与えるしかないか。

FIFA.com: 2010年W杯アフリカ最終予選A組の経過

2009年10月 9日

混迷を続けるガボンの大統領戦

投票から一月が過ぎたが、ガボンの新大統領はまだ決まらないようだ。

Gabon opposition rejects re-count (BBC News 20090930)

奇しくも日本の衆院選と同日に行なわれたガボンの大統領選挙。30年超にわたって在位したオマール・ボンゴ前大統領の死去にともない行われた。開票結果は、下馬票どおり、与党ガボン民主党が推す、前大統領の子息であるアリー・ベン・ボンゴ氏の勝利となったが、得票率は50%を切るという、なかなか微妙な勝利だった。

しかし、敗北した候補者たちは選挙結果に納得せず、選管に票の数え直しを要求。一時はポール・ジャンティで暴動が起きるなど、一部の都市では騒然となったようだが(僕もランバレネで候補者の看板が燃やされているのを見た)、全体としては落ち着いたなかで、最終的に票の数えなおしをすることが決まった。

ところが、である。

憲法裁判所は、票の数えなおしに対立候補の陣営の人間の立ち会いを拒否。当然、対立候補陣営は「これでは票の数えなおしは無意味だ」といきりたつ。一方のボンゴ氏サイドは、「投票、開票は公正に行なわれたのだから、100回数えなおしをしたって結果は同じだ」と言い放っているという状況。

争いを好まないガボン人のことだから、国内が大混乱におちいるようなことはないと信じたいが、どちらに転ぶにせよ、これ以上長びくことのないよう祈りたい。

2009年9月25日

NHKの取材

昨日、とつぜん取材をうけた。
NHKの報道のカメラマンの、Sさんという方から昼に電話があり、「ガボン」について調べているので、ぜひこれから話を聞きたいという。

「これから?」
「はい。実は私今東京駅なんです。OKでたらすぐ乗ります。」
「へー。」

というわけで、夕方大学で取材を受ける。電話の声で想像していたより若い、僕と同年代の人だろうか。
1時間程度、ガボンや、僕たちのプロジェクトについてとりとめもなく話をする。個人的には、中国の進出に興味がおありだという。

なんにせよ、ガボンという国は日本ではほとんど知られていないし、紹介されることがあっても、ほとんどが「地下資源」と「自然」だ。ガボンの「人」が注目されることは、国際的にもほとんどない。だから、ぜひガボンの人々を紹介してほしいと思う。

ちなみに、僕を知ったのは、このブログだとか。「ガボン」でぐぐると、僕がトップに出てくるらしい。ほんとかな。

2009年9月24日

ガボンで類人猿調査をするには?(8) 旅行3 リーブルビル

あいだにガボン旅行をはさんで、調査マニュアルもどきの第8回は、リーブルビルの過ごしかた。


重要な場所

いろんなスポットについて、詳しく書くのがめんどくさくなったので、下のマイマップをご参照あれ。


より大きな地図で リーブルビル案内 を表示

生活案内

タクシー

リーブルビルの空港は、市街地から自動車で約20分くらい北にある。タクシーで市街地までゆくと2,000XFA。

市内の交通は、タクシー、タクシー、タクシー。乗合で一回100XFA。適当なところで手をあげると止まるので、行き先をつげる。しかし、遠かったり、ドライバーにとって実入りが悪いエリアに行くときなどは、100では乗車拒否される。その場合は200とか300と言って交渉する。

朝夕の混雑する時間帯や、昼飯どきなどは、混む道はドライバーに敬遠される。急ぎのときは、1,000XFAと言うとたいていとところまで連れていってくれる。

外国人はふっかけられる。といっても、1,000と言えばたいていいける。しかし、がんばってみるのも楽しい。何度も何度も乗車拒否されると、ああ、日本っていいなぁ、と思う。

慣れてくると、遠いところでも上手に乗り継ぎして安くでいくことができる。たとえば、市街地のホームセンターCK2で買い物をして、カルチエLouisのホテルEclipseまで戻るとしよう。CK2の前で「Louis」と言っても、かなりの確率で拒否されるか、「1,000?」といわれたりする。

そこで、まずCK2の前では「Jeanne Ebori」と言ってみる。上の地図で確認してほしいが、海沿いの道路からカルチエLouisに登る道の分岐点にある病院だ。そこまでは、たいてい100でゆける。

で、そこから「Marche Louis」とか「Hotel Eclipse」と言えば確実に100でゆける。もっとも、僕はめんどうくさいから歩いちゃうけど。

そう。リーブルビルは狭い。実は、距離的にはほとんど徒歩圏内で用が足せる。が、日中は暑いので、タクシーで早く用事をすませたい。

買い物

調査のための大きな買い物は、MboloかCK2で。食料品ならCecado Geantあたり。発電機などの機械類は、南のOloumiというカルチエにあるSogam Equipeがよい。

リーブルビルで過ごすためのこまごましたものは、LouisにあるTop Marche Louisか、あとは市場。市場は小規模なものがカルチエLouisにあるし、Gare Routierの近くにMont Bouetという大きな市場がある。

食べる

カルチエLouisのあたりには、たくさんレストランがあって困らない。中華などアジア系や、白人がくるようなレストランでは一食5,000XFAは覚悟すること。小さなレストランだと、2,500〜3,000くらいで一皿料理を食べられる。

また、ムスリムの人たちが、Cafetteというカフェテリアをあっちこっちでやっている。モーニングコーヒーとフランスパン半分のセットで500XFA。油ぎったスパゲティなどが1,200くらいで食べられる。朝食はほかに、サンドイッチの屋台という手もある。道のあちこちで売っている。500XFA。

夜になると、街角にバーベキューの屋台がでる。焼き肉の串1本が200XFA。魚は大きさにもよるが、3,000も出せば2、3人で分配して食べられる。マニオクやバナナをつけて、ひとり1,500くらいでおなかいっぱいになれる。

屋台の脇にはビールを出すテラスがあって、そこで飲みながら食べる。ビールは別料金。ガボンのビールRegabは320XFA。ギネスでも500くらいだが、これを高いレストランで頼むとRegabが一本3,000したりするからびっくりだ。

泊まる

ホテルは上の地図を参照のこと。

とりいそぎ。あとでさらに情報を追記します。

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2009年9月23日

Q+A-What happens next in Gabon? | Reuters

ロイターの報道によると、ガボンの大統領選挙の結果は、まだ正式に認定されていないらしい。

6月に、長期政権だったオマール・ボンゴ・オンディンバ大統領が在任中に死去し、その後継者を決める選挙が、僕がいるあいだの8月30日(日本の衆議院選と同じ日!)にあった。即日開票し、9月3日に息子のアリー・ベン・ボンゴ氏の当選が発表されたが、対立候補たちがこれを不服として、公式に異議申立をしているとのこと。

Q+A-What happens next in Gabon? | Reuters
http://www.reuters.com/article/latestCrisis/idUSLM375099

事前に予想していたより、決着が長びいている。といっても、流血の事態は比較的小規模で、かつすみやかに終息したようだ。しかし、こんなふうに静かな状態で最終決着を迎えることになるというのも、ちょっと不安だ。

2009年9月18日

帰国

8月14日に日本を出発して、ちょうど5週間目の昨日(9月17日)に帰国した。今回もダニにたくさんやられて、まだそこかしこに「顎」が残ってちくちくする。

以下に、簡単な日程のサマリを。

8/14夕、パリで京大院生のH君と合流。Annette & Marcel Hladick夫妻と面会。10月の来日のことなど相談する。おふたりともあいかわらずお話好きで、しかもおもしろい。

16日にリーブルビルへ移動。こないだ来日した熱帯生態学研究所のP君が彼女と一緒に空港に迎えにきてくれた。

JICAの調印式があることを到着してから知る。急遽、JICAのHさんにジャケットとネクタイを借りて出席。調印式の夜には大使館でレセプション。

大急ぎで買い物をして20日に出発。京大チームの車が故障中だったので、JICAの車を出してもらう。P君、H君と僕、それにJOCVのSさんというメンバー。Sさんはガボンの北のほうで幼児教育の支援を行っているという。子ども学科の僕としては奇遇だ。

21日、チバンガで買い物してドゥサラ入り。車の積載が少なかったため、チバンガ-ドゥサラ間を2往復しなくてはならなかった。買い物はH君、P君に任せて村で飲む。

22日、キャンプに移動。発電機は壊れている、テントはない、トラッカーたちがたくさん不満を抱えているなど、なかなかtoughな状況。まあでもそのほうが僕に合っているといえばあっている。

23日から踏査開始。初日はみんな一緒に歩き、GGと再開。Sさん感動。24日は徒歩で久しぶりに昔のキャンプを訪問。帰り道でチンプを見る。25日、JOCVのSさん帰る。

29日、R大のSさんが6年ぶりにキャンプに到着。一緒に仕事をするのは98年以来...10年ぶりだ。しかし、翌30日は大統領選挙のためすべてのトラッカーと一緒にドゥサラに出なくてはならなくなった。奇しくも日本の衆議院選挙の日だった。

大きな混乱もなく投票がおわったので翌31日にキャンプに戻る。村の宿泊は精神的に疲れる。

ラジオで選挙の結果を注視しつつ踏査。チンパンジーは、声はすれども姿が見えず。雨期は声を頼りに彼等を発見するのが容易だが、乾期は細かく離合集散をしており、移動中はかなり分散するらしく、「声のところ」まで行ってもなかなか見つけられなかった。

9月3日午後、恒例の「レユニオン」。トラッカーたちとの団体交渉だ。日本人の留守中にずいぶんいろいろ問題があったらしく、すべてのトラッカーの連盟の「連判状」をもらっており、toughなものになると予想されたが、「渾身の大演説」で誠意が通じたか、すんなり終わる。

4日から再び踏査。自分では楽に終わったと思っていたレユニオンだが、予想以上に精神的後遺症が残り、気持的にちょっとつらい日々となった。でも、チンプの遊動における雨期と乾期の違いがかなり明瞭にあるということがわかってよかった。

10日、村で「フェット」。こちらがヤギと米と酒を提供し、村がニワトリ、魚、マニオク、バナナを提供する恒例行事。ヤギの解体作業を完全撮影。久しぶりにいろんな村人とじっくり話すことができてよかった。

11日、踏査最終日。GGを追跡し、マワタとママノワールにチャージされるが、パパがマワタを諫めてくれて事なきを得る。って、そんなに危機的な状況じゃなかったけど。

12日、熱帯生態学研究所の運転手がJICAの車で迎えにきてくれた。フガムに一泊し、翌13日リーブルビル着。京大のYさん、I君と合流。日本人5人が大集合だ。午後、熱帯生態学研究所でJICAプロジェクトについて合同会議。そういえばYさんとアフリカで一緒になるのは98年以来だ。

14日、Yさん、I君、H君はフランスビルの医科学研究所へ移動。僕らはおみやげ買ったり、大使館にごあいさつに行ったり。

15日、JOCVのSさんにガボンの幼児教育の現状や支援の内容についてインタビュー。いちおう、子ども学科への手土産のつもりだが、果たして興味をもつ人がいるかどうか...。夜の便で出発し、翌16日の朝にパリに到着。空港でSさんと別れ、街で家族へのおみやげを買う。夕方出発し17日昼すぎに帰国。スーツケース破損。空港から直接大学へゆき、学科会議。

と、だいたいこんなであった。ここを見ている京大人類の人のために付記しておくと、H君、まだマンドリル見れてません。けど元気でやってます。彼ならきっといい仕事ができるでしょう。

2009年6月17日

対カメルーン戦が延期に

今日は日本代表とオーストラリアの消化試合だが、われらのガボンも大健闘だ。2010年南ア大会のアフリカ3次予選A組で、現在トップである。カメルーンの大不調のおかげで初出場なるか。

その、カメルーンとの直接対決が、故ボンゴ大統領の葬儀のため延期になった。

Gabon-Cameroon encounter postponed

6月20日、リーブルビルの予定が9月5日に変更。ホーム&アウェイ方式で、なんと4日後の9日にはヤウンデで再戦という、なかなかすごい日程に。

9月5日は、きっとガボンにいると思うので、もしかすると観戦できるかもしれない。

2009年6月 9日

ボンゴ大統領死去

後輩から知らされた時点では情報が混乱していたけど、公式発表がでた。

ガボンのボンゴ大統領死去、アフリカ最長の41年間在任(ロイター)

とりあえず今後の推移を注意して見守る。

2009年4月17日

「森の中」と「森の底」

ここ数日雨がちで、今朝もぽつぽつしてた。雨とともに、花粉も流れていってくれーと願っていたが、どうなることやら。


とくに火曜日の大雨はすごかった。夜まで会議で、そのあと山道を車で帰るのがおそろしいほどだった。コンゴのンドキにいたころ、何度かキャンプで大雨に降りこめられたことを思い出した。

森で激しい雨が降ると、キャンプのバラックから一歩も出られない。トイレにゆくのも一仕事だ。おまけに雨音もすごくて会話もできない。雨に降りこめられるとはこういうことか、という感じだ。

けれど、考えてみると、ガボンで雨に「降りこめられた」というような覚えはあんまりない。もちろん大雨は何度も経験している。どちらかというと、ガボンのほうがデカい雨が降る。

ガボンでは「降りこめられる」というより、「雨に降りさらされる」という感じだ。

同じ森での雨なのに、なんで感じ方が違うのだろう。思うに、それは森の深さの違いによるのだろう。

ンドキの森は高かった。そして、その高い森が連続していた。観察対象のチンパンジーやゴリラ、サルたちはその高い森の上のほうにいた。あそこまで浮かぶことができればな、と思いながら、あー、ここは深海の底ならぬ「森の底」だ、と感じたものだ。光もほとんど刺してこない。日がかたむくと、あっという間に周囲が闇につつまれた。

そんなところで大雨にあうと、森がほんとに深海になってしまったかのように感じる。キャンプはさながら壊れた深海潜航艇のようだ。

ガボンの森も、日本の森よりはるかに高い。けれど、ところどころに切れ目やギャップがある。虫食いのようにサバンナがあったりして、そんなところでは、光は横からも刺してくる。日中はかなり明るく、夕方になっても、なかなか暗くならない。モコモコとドーム状に分布する森の塊に入ったり出たりしながら調査をしている。朝、キャンプを出発すると、山陽新幹線がしょっちゅうトンネルに出入りするように、「森の中」に入ったり出たりしながら、一日を過ごしている。

プチロアンゴのキャンプはサバンナに作っていたし、ムカラバのキャンプもプランテーション跡の開けた場所だ。つまり、森の「外」にあるのだ。だから、そんなところで大雨に会うと、キャンプごと自分が雨にさらされてるように感じるのだろう。

どちらがよい環境ということはないのだが、心地良さということだけ考えれば、森の底にいた時間のほうが、幸せだったように思う。