学生たちと「
キリクと魔女」を見た。
ギニア在住経験のあるアフリカ系フランス人によるこのアニメ映画は、アフリカをモチーフにした優れたアニメだ。知ってる人は知ってると思うが、このアニメ、衝撃の結末なのだ。「衝撃の結末」とはこういうことを言うのだと思う。誰も予想できない。
見終った学生たちの感想も、ひとしきりそれでもちきりだった。途中で寝てしまった学生は、最後まで見た学生とまったく話があわない。
そのほか、色彩や音楽が今まで見たことがあるアニメと全然ちがうという感想が多かった。たしかに。
この映画の魅力は、小道具だ。村の家や家財道具、服装や村の暮しぶりなど、もうほんとうのアフリカの村にそっくり。また、動植物もとてもリアル。いくつかの動植物は、種名までちゃんとわかるほど。
村人の身振りやしぐさもすごい。大きく腕をふって演説するおばさんとか、川であそぶ子どもたちの動きとか。そして音楽。現代的アレンジはしているけど、アフリカ音楽のエッセンスはしっかり凝縮されてる。そして村人は何かあるとすぐ歌い、踊る。そこもアフリカっぽい。
ひとり、「歌ったり踊ったり、ディズニーっぽかった」という感想を述べた学生がいた。それは、指摘されるまでまったく思いつかなかった。たしかにディズニー映画も歌って踊る。
だが、なんというんだろう。ディズニーのアニメは、何をモチーフにしようと、そのすべてが「ディズニー化」されているように思える。「アラジン」はちっともアラブっぽくないし、「ポカホンタス」は見てないけど、現実のネイティブ・アメリカン的要素はすっかり消されていたどころか、ひどい歪曲がされていたと聞く。白雪姫だってそうだ。グリム童話だってことを忘れそうになる。というか、白雪姫といえばディズニー、みたいになっている。
結局、ディズニーアニメの「舞台」は、ディズニーランドなのだ。作中人物が歌い、踊るのは、観客にむけたショーである。でも、「キリク」の中でみんなが歌い、踊るのは、ある意味"ほんとうに"歌って踊りたくなって、それで歌って踊っているのだ。
ということが、伝えられたらよかったな。
あと、余談だが、フランス語がみじかく完結で、耳で聞いてぜんぶわかった。子どもむけ映画は、耳を鍛えるのにいいかも。