2008年12月24日

ドゥサラの子どもたちに学用品贈呈


zoutei.jpgムカラバから帰国したAさんから写真が届いた。

今年8月、GRASP-Japanの募金を活用して、国立公園の周辺住民の地域コミュニティの支援活動の一環として、村の子どもたちに、学校で使う文房具と医薬品を寄付した。その贈呈式の写真である。

思えば、調査をはじめた1999年には、森林省の駐在員から「この村の連中はひどい密猟者で保護活動に反感をもっているから接触するな」と言われたのだった。その後も、いくどとなく、対立と揉め事を繰り返しながら、少しずつ村と僕たちとのあいだに信頼関係を構築してきた。

そして今年、村にコミュニティ活動と自然保護のためのNPOが設立された。今、村人と自然の共生をすすめるために何が必要か、僕たちも含めて話しあった結果、まずは医療、そして教育、さらに、自然の収奪的利用をせずに自立するための経済活動ということになった。みんなで相談して必要な医薬品と文房具のリストを作った。ただの買物といったらそれまでだけど、村のみんなで、自発的にひとつのプロジェクトをやるのははじめてだ。みんな大変だったと思う。

贈呈式のあと、学校に通う子どもたちは、調査隊のメンバーを見るとうれしそうに手をふってくれるそうだ。2月にかれらと再会するのが楽しみだ。

2008年12月22日

教えるコツと条件

おばあちゃんが、スーパーのポイントを使って娘にローラースケートをもらってきてくれた。大喜びで練習だ。

こらえ性がないのですぐに転んで泣いてやめるかと思いきや、すいすいと上達する。2、3回やっただけなのに、それっぽく滑れるようになったし、踊ったりもする。インラインスケートって意外に簡単なんだなと思いつつ、僕のインストラクションもなかなかのものだと我ながら思った。

下をみない、とか、そういう技術的なこともあるんだけど、ステップバイステップで、立てた、しばらく静止して立てた、歩けた、一瞬でも滑れた、とその都度その都度ほめる。ただし、ほめる時は理由もちゃんと言う。今こういうことができたね、すごいね、と。できてないときには、頑張れとは言うけど、ほめ言葉はかけない。

それから、手をかさない。何があっても手をかしてやらないことで、できたときに、それが間違いなく自分の努力の成果であると、娘は実感することができる。その時のよろこびは、手伝ってもらってできた時とは比べものにならない。また、できなくて転んだときに、人のせいにすることもできない。

しかし、手をかさない、という指導法が効果的であるためには、ひとつ条件がある。それは、教わる人に、やる気があることだ。やる気のないことをやるとき、手をかさないでいると、いつまでたってもやらないので、できるようにならない。

2008年12月16日

天狗谷遺跡

僕の自然体験はほとんどがアフリカでのものだ。自然が大事とか地域が大事とか思ってるのに、日本の自然の知識なんて恥ずかしいほど少ないし、地元じゃない犬山や岐阜のことは何にも知らない。住んだり勤めたりしている以上、その地域自然をもっと知ってないと自然科学者とは言えない。でも、とっかかりがなかなかつかめない。
あれこれ悩んでもしょうがないので、まずは近隣を歩いてみることにした。フィールドワーカーだし。大学周辺のフィールドワークをしてみよう。
関市にある大学のメインキャンパスから犬山の自宅までは、道順検索によると13kmだった。なら歩けるじゃん、と思い、先週やってみたら、3時間かかったけど楽しかった。今週も、授業のあと打合せがあってバスの時刻を逃してしまったので、名鉄の最寄り駅である「おがせ」まで歩くことにした。
先週は、暗くなる前に明るいところに出ないと恐いと思ってわりと必死で歩いた。でもどんな道も2度目はなぜか楽だ。見えるものも違う。
大学を出て、迫間方面へ向かう道なりに歩く。道の脇にはコンクリートで固められた小川があり、川に面した家々はみなベランダに思いおもいの鉢植えを置いている。やがて歩道がなくなり、坂を登って降りると迫間の交差点だ。交差点を右折するとすぐに岩坂トンネルがある。トンネルの中は排気ガスで息苦しい。トンネルを抜けると各務原カントリークラブがあるが、その手前に、北へゆけるハイキングコースのようなものがある。たぶん鵜沼の森かどっかに通じているのだろうが、今日はやめておく。
ゴルフ場をすぎると、「天狗谷遺跡」という大きな看板がある。車で通行したときから気になっていたので、ちょっと道草をしてみた。
道をはなれて小さな階段を昇ると、小さな古墳の石室と、古代の須恵器の窯があった。窯は奈良時代のものだそうだ。地名も須衛町というが、須恵器のスエと関係あるのだろうか。
家に帰って検索してみると、旅行やハイキングサイトで紹介されている。たしかにハイカー向けな感じ。ちゃんと掃除もしてあるし、大切に保存されてるのだなと思った。しかし、遺跡の説明板の文字、すっかり褪せて消えてますよ。各務原教委さん。
遺跡をすぎて麓までくると、「各務の舞台」こと村国座がある。こちらも気になっていたが、時間切れ。次回訪問してみよう。
村国座をすぎるとおがせ池がある。ここも、何かできそうな感じがする。池をすぎると国道21号だ。昼食抜きで歩いたので、「喫茶山びこ」で遅い昼食を食べてるうちに暗くなった。おがせ駅から電車に乗って帰宅。
なかなか楽しかったが、フィールドノートを持ちあるくのを忘れた。フィールドワーカー失格だ。この記事を書くのにも、遺跡がゴルフ場の前だったか後だったか思い出せず検索して調べるていたらく。次回はノートを持って歩こう。

2008年12月15日

予約完了

来年2月に急遽ガボンへ行くことになった。のんびりしてたら年末になってしまったので、あわててフライトの手配をしたが、なんとか予約がとれて一安心。14泊15日という、今までで最短のアフリカ旅行になる。いつものごとく、JALとコードシェアのAFでパリ経由だ。以前は、パリに夕方着いてその夜にリーブルビルへ行く便があったのだけど、夜の便がなくなってしまい不便になった。往路でパリに泊まれても、あんまりうれしくないんだよね。復路なら気楽に楽しめるんだけど、復路はパリに朝着いて夕方の乗り継ぎという、空港を出るかどうかさえ考えてしまうほど便利になってしまった。残念。

2008年12月14日

ほぼ日手帳

先週末に、懸案だった出版企画の原稿をやっとのことで脱稿した。そういえば、去年の今ごろはASMの論文を泣きそうになりながら書いていたっけ。

今の職場に来てからの2年間、それまでよりはそこそこ生産的になったと思う。もっとも、プロダクティビティがあがったというよりは、頼まれ仕事にかける精神的、時間的ウェイトを意識的に下げたからだけど。だって人の仕事して一生を終えたくないもん。

でも、頼まれ仕事をあまりうっちゃってると信用なくすから気をつけないと。そういうわけで、来年は自分の仕事も他人の仕事もバリバリこなせるようになろう(でも、基本的に他人の仕事はしないけどね。もう)ということで、前から気になっていた「ほぼ日手帳」を購入した。毎年毎年、あたらしい手帳をためしてはとりかえているけど、今度こそ。

2008年12月13日

アイデアを整理する

学生に勧められる勉強法の本を考えていて、だいぶ古いけどやっぱり梅棹忠夫の「知的生産の技術」じゃないかと思って、久しぶりに読みかえしてみた。

僕が大学に入った頃には、大学生ならこれを読まなきゃ、というくらい有名な本だったが、最近の学生はまったく知らないようだ。もっとも、同僚の教員もほとんど知らないみたいだったけど。

「情報はカードで整理する」というのがこの本の基本的な内容だ。でもそれは今みたいにパソコンんが普及していない時代の話で、本書の中でもいずれ情報管理はコンピューターで行なう時代がくるだろう、というようなことも書いてある。

したがって、パソコン時代の今となっては、本書に書かれている情報管理の方法は古いかなと思っていたのだが、あらためて読んでみて、古いどころか今でもなお新しさに満ちた内容だと感じた。

最近は情報管理とか時間管理とか"ライフハック"とかがおおはやりで、ビジネスの世界から今や教育の世界にも進出してきそうな勢いだ。僕もそういうものが大好きで、GTDとか試みて(は失敗して)いる。そして、そういう本のなかには、「情報管理モノ」のはしりとしてこの「知的生産の技術」をあげているものがある。けど、本書は今の情報管理モノとは目標もコンセプトもまったく異なるといってよい。

大きな違いは以下の2点。

  1. 「情報管理モノ」では、管理する対象は外からの情報とタスクであるが、「知的生産の技術」では、もっとも重要なのはアイデア、発見である。
  2. 「情報管理モノ」では、管理された情報は最終的にどこかに仕舞われて、必要に応じて検索してとりだせされる以外は眠っている。一方、「知的生産の技術」では、情報は日々折々とりだしては眺めるものである
最近は、外から入ってくる情報があまりに多いため、その管理に追われるのは当然だ。だから、そっちのことばかり考えてしまう傾向になるのはしょうがない。でも、そういったことは、研究者の本来業務じゃないんだよね。そういえば、アイデア整理って最近してないなぁ、と反省した。