2008年6月30日

「セックスの人類学」シンポジウム

先週末は東京で「セックスの人類学」シンポジウムだった。疲れた。

1994年に嵐山のニホンザルのオスの同性愛行動を観察して以降、「性」に関する研究会やシンポにたびたびお呼びがかかる。だが、今回は僕が発表やコメントを依頼した人を除いて、発表者、参加者とも初めてのご縁の人たちがほとんどだった。そんな中、文化人類学者のTさんは数少ない「常連さん」だった。性に関する研究会のときには必ず出会うが、それ以外でお会いすることがないので、セックスだけの間柄だね、などと懇親会で冗談を言いあったりした。

そんなわけで、過去に何度もしている性の話はやや食傷ぎみ、という思いと、人や視点が違えば、またなにか新しい発見があるかもしれないという期待がないまぜになった状態で参加した。で、どうだったかというと...

結果的には、ひとつひとつの発表はとても刺激的だったけれど、以前に参加した研究会などを超える、新しい展開をするには、もうひとつ何かが足りなかったな、という、物足りなさが残った。

いくつか新しい試みはあった。たとえば、鯨類の性行動の発表。これまで、ヒトの性を理解するのに、霊長類以外の性行動がひきあいに出されることはなかったのではないかと思う。これが「繁殖」の話ならそんなことはないのだけれど、繁殖にかかわらない、性器を使ったさまざまな性行動は、ヒトやヒトに近縁な動物の専売特許ではないということがよくわかった。

また、今回はオーガナイザーである桜美林大の奥野さんの発想で、性行為そのものを、「グロテスクなまでに、その息遣いまで」記述するということを試みた。これは、すべてうまくいったとはいえなかったが、それなりに面白かった。シンポの第二部でヒジュラの性について発表してくれたお茶大の國広さんが、新参ヒジュラが、はじめてグルと一夜を共にしたあと、調査者に対してうれしそうに「こするのよ」と話したというエピソードを紹介してくれたが、ヒジュラの性に、わずかながら感応することができたような気がした。

それから、今回は、動物だろうが人間だろうが、また、行為の内実にかかわらず、「交尾」とか「性行為」などと言葉をわけず、どの発表者も「セックス」という表現で統一してみよう、という試みもあった。しかし、う〜ん、これは...おもしろいといえばおもしろい試みだったけど、なんか、いまいちでしたね。

このシンポは出版企画につながっている。だから、これで終わりというわけではなく、シンポでなされた議論や、あらたに出てきた問題点などを整理しつつ、原稿につなげてゆくことになる。しかし、なんというのかな。セックスについて、あーおもしろかった、という議論って、なかなかできないものなのだなぁ。

さっきも言ったように、ひとつひとつの発表は面白かった。だが、全体の軸というか、幹というか、それがなぁ。結局は、みんなが自分の私的なセックス観を発表やコメントに載せて表明しあった、というところを抜け出せていない気がする。とはいうもの、そもそも、抜けだしたときに、それは「セックスについての」議論でありうるのか、という疑問も湧いてくる。でも、抜け出せないものなのだとしたら、シンポや出版の意味はなに?ということになる。猥談でも学問でもない何か、か。

とまあ、現時点では不満のほうが先に出てくるのだが、今回はじめて得られた着想や、数回目にしてようやく見えてきたものが、なかったわけではない。それは今の段階では不確かな断片にすぎないが、これから言葉にしてゆこうと思う。

2008年6月24日

AJPで大型類人猿の病気の特集

American Journal of Primatology の最新号で、大型類人猿の感染症に関する研究の論文がまとめて掲載された。

3年前からかかわっている、環境省の委託プロジェクトでもこの問題にとりくんでいる。ムカラバでも、ゴリラの糞尿サンプルをとって病原体や寄生虫の検索を行なったり、Fさんを中心にストレスホルモンの測定をしたりしている。下の写真は、ムカラバに作った簡易「ラボ」でゴリラのフンの寄生虫検索をしているところだ。

今年度は、周辺地域の人々の感染症に対する意識や、類人猿との接触頻度を調べる予定。

しかし、AJPの論文たち、多すぎてなかなか読むのがしんどい。

labo.jpg

2008年6月22日

サル学の常識の現在

大学の地域貢献事業の一環で、市民講座で講演をした。

去年も同じ講座で講演したのだが、去年は開始時刻を30分勘違いして遅刻、という大失態を演じてしまった。今年は絶対に遅刻すまい、と、1時間前に会場に到着した。そのせいか、今年は去年より余裕をもって話すことができた。参加者は比較的高齢の方が多かったのだが、みなさん熱心に耳を傾けてくださってうれしかった。

テーマは「ゴリラとチンパンジーの共存と共生」だ。同じテーマで別の場所で何度か話しているのだが、過去の講演のプレゼンをもう一度ぜんぶ見直して、あらたに作りなおした。

結構いいプレゼンができたと思っていたのだが、参加者の方の講演中の反応をみて、いくつか考えさせられた。自分としては、かなり易しくかみくだいたつもりだったが、それでも、ところどころ、よくわからないという反応があったのだ。

それは、参加者の方が物を知らないということではなく、われわれが今まで「一般に知れわたっているサル学の知識」と思っていたものが、実は世間から忘れられているということだと思う。

立花隆が「サル学の現在」に書いているように、初期の「サル学」の成果は世間によく知られ、知識人の常識といってもよいくらいだった。「サルの群れには個体間の優劣関係があり、ボスがいる」などということは、それこそ小学生でも知っていることだった。

その後、初期のサル学の成果のいくつかには、修正が加えられた。たとえば、群れで一番優位なオスは、別にリーダーシップを発揮する「ボス」なんかじゃない、ということなど。けれど、社会にはそれはよく伝わらなかった。動物園のサル山にいけば、皆「ほら、あれがボスだ」と言っていた。

僕たちは、そういう、「サル学の現在」と「社会に知られているサル学」とのあいだの乖離をいまいましく思っており、機会あるごとに、「ほんとはボスザルっていないんですよ」と言ってきた。

けれど、最近、その様子がなんだか違う。

今回の市民講座もそうだし、学生と話しているときはもっと強く感じるのだが、そもそも、社会は「サル学の初期の成果」を忘れつつあるのではないか。

講義も含め、若い人にサルについて話すときは、まず、サルのなかまは人間に最も近縁な生物分類群であるということから説明する必要がある。しかも、かれらは義務教育で生物進化を学んでいないので、近縁とはどういうことかを説明せねばならない。

同じようなことが、いろんな側面で起きている。たとえば、チンパンジーやゴリラは集団で暮らすとか、植物が主な食物であるとか。

一般の人に講演をするような機会では、なるべく最新の知見をおりまぜながら話したいし、自分の話もしたいと思うのだが、どうもそれがうまくゆかない。ベースになる常識が失なわれているから、まずそこを説明しなくてはならない。でも、そこをかみくだいて話していると、そこだけで時間が過ぎてしまう。

今年はサル学はいろんな何十周年の年のようで、記念シンポなどもあっちこっちで開催されているが、どこか空虚な感じがする。仲間うちで祝っているけど、世間はサル学のことなど忘れている。

こうした現状は、社会全体が教養を失いつつあることにもよるだろうけど、僕たちが「サル学はよく知られている」ということにあぐらをかいてきたことにもよる。もっとマイナーな生物の研究者は、自分の専門分野のマイナー性をちゃんと理解し、そのうえで、社会に伝える価値のあることを一生懸命伝える努力をしているだろう。しかし、サルに関しては、研究対象自体がメジャーだから、研究内容もメジャーなんだ、という勘違いをしてきたような気がする。

とくに行動や社会の研究は、集団や地域個体群の全体に向けられる意識がどんどん希薄になり、ひとつの行動カテゴリー、特定の場面、せいぜい観察者の目の前のわずかな空間で起きることを、やたらと微細に記録し、その細かな現象の進化的機能を推論したり、そうでなければ、その一瞬に、何やら社会の深淵みたいなものを読みとってみせるというようなものが増えている。そういう僕も、そうしたものに違和感を覚えつつ、ではどのようなスタンスで、何を見ればいいのかということに妙案があるわけではない。

このあいだ、酒の席である人が「やっぱり僕らがサルや類人猿を研究するのは、ヒトを知りたいからだってことを、もう一度再認識する必要がある」と言っていた。まったく同感だが、ヒトを知るってどういうことだろう。

サル学の初期には、社会に一定の「ヒト観」みたいなものがあり、サル学はそれに挑戦して成果をあげてきた。見方をかえれば、サル学は社会のヒト観のありように敏感であったと言うこともできる。でも、今やそのようなヒト観は通用しない。では今の社会に「ヒト観」があるかというと、それも怪しい。社会が変容し、ヒト観がぼやけてしまうとともに、サル学のもつインパクトも薄れ、忘れさられてしまった。

だから、昔とくらべ、現在はサル学で社会にインパクトを与える成果をあげるのは難しいといえる。どんな研究、どんな発見がインパクトを与えるのか、判然としないからだ。

今でも、旧態依然とした「知能」だとか「文化」だとか「政治」だとかのトピックは、研究内容的にはあまり目新しいものではなくても、新聞が掲載してくれる。新聞に限らない。僕のようなステイタスの研究者に講演依頼がくるのも同じことだ。あとは「保護」か。

このような現状を、を世の中のせいにして嘆くのはたやすい。だが、サル学の目的が人間理解への貢献だとすれば、今の社会において、かくも「ヒト観」がぼんやりしていることに対して、もっと反省すべきではないだろうか。もし、サル学は「ヒトとは何か」を明らかにしてきた/してゆくのだ、と自負するのであれば、サル学者には、この時代においてあらたなヒト観を鮮明にしてゆくことが求められているはずだ。

2008年6月20日

25歳は危いのか?

時事問題についてブログで論評するのは好きではないのだが、一言いいたくなった。

秋葉原の事件のあと、「25歳があぶない」ということを言いだす人がでてきた。なぜ25歳があぶないのかというと、神戸の連続児童殺傷事件の犯人と同い年だからだという。そういう主張をする人が言うには、同い年の人が犯した事件にすごく影響され、共感するんだそうだ。実際、神戸の事件の三年後に17歳の少年による事件があった。

はっきりいって、この主張は荒唐無稽だと思う。論理的に反論する点はたくさんある。だが、ここでは僕の経験をもとに反論したい。

5年前、僕は大阪のある女子大で非常勤講師をしていた。一般教養系科目として、人類学を担当していた。学年は2年生。今の25歳であり、神戸の事件の犯人と同い年の学生だった。

講義のはじめに「人間とは」という問いを考えてもらおうと思い、僕は学生にふたつの質問をした。ひとつは「人間的とはどういうことか?」 もうひとつは「非人間的とはどういうことか?」である。

提出された紙をみて、僕は少なからず衝撃をうけた。半数近くの学生が、「非人間的なこと」に対する回答として、「神戸の連続児童殺傷事件のようなこと」に言及していたのだった。

告白すると、僕はその時、あの事件のことを忘れていた。事件から6年が過ぎていた。事件当時、僕はかなり関心を抱いていたし、犯人がわからない時は身の危険も感じた(神戸から京都なんてすぐこれる)。犯人が中学生だったことに衝撃をうける一方、そのことにしんから驚いていない自分にも気付いていた。それでも、当事者でない僕は、6年たった頃には、日常生活でそのことを思い出すことなどなくなっていたのだ。

しかし、学生たちは覚えていた。「非人間的なこと」として。「あんなことは、人間がやることではない。ぜったいに違う。」と、感情的なまでに否定するコメントを書いた学生もいた。「同い年の人間として許せない」というコメントもあった。

その後、僕は授業のなかで「同種内殺し」について解説し、チンパンジーの子殺しなども説明しながら、「事実として、ヒトはヒトを殺す生物である。そして、同種内殺しをするのはヒトに近い生物に限られており、『ヒトらしさ』、つまり『人間的であること』の一部である」という話をした。それを心で受け入れるかどうかはともかく。

だが、学生たちの多くは納得しなかった。授業後に回収した感想用紙に、「わたしは絶対にサカキバラとは違う。殺しなどしない。」とわざわざ書いてきた学生も複数いた。

実は、その前後の年にも同じ大学で非常勤をし、講義の中で同じ質問を投げた。だが、上の学年も下の学年も、誰ひとり神戸の事件に触れた回答をしたものはいなかった。

僕はいいたいのは単純な、ひとつのことだ。思春期に、同い年の子が重大な事件をおこしたら、それはすごい衝撃になるだろう。心をゆさぶられ、そのショックは、何年も過ぎ、世間がすっかりそのことを忘れてしまった後にも、同い年のかれらの心に深く刻まれていることだろう。

だが、それは共感とは限らないのだ。中には共感してしまう子もいるだろうが、大多数は、衝撃が強い分、より強く、われわれ大人なんかよりもずっと強く、そのような行為を否定する気持ちとなるのだ。同い年だからこそ。

斎藤環は「思春期ポストモダン」の中で、いわゆる"若者論"の多くは、若者を自分とは異なるエイリアンとみなし、褒めるにせよけなすにせよ、ゴシップのように話のネタにしておもしろがっているだけだと述べているが、まったく同感だ。メディアで働く人間のなかにも、25歳の人間はたくさんいるだろうに、かれらはなぜ声をあげないのだろうか? 検索してみたら、人気のアナウンサーもいるではないか。

25歳があぶないというなら、宮崎勤と同い年の45歳は危なくないのか? 麻原彰晃の53歳は? 勝田清孝の60歳は? 大久保清の73歳は? 悲しいことだが、どんな世代にも唾棄すべき殺人者がいるのだ。

加藤に共感などしていない大多数の25歳の人たちには、くだらないレッテル貼りと中傷に負けず、がんばって生きてほしいと思う。

2008年6月12日

リュドヴィックさんの訪問

ガボンの熱帯生態学研究所(IRET)の所長で植物学者のリュドヴィックさんが、約10日間の日程で来日した。基本的に京都に滞在だが、今週はこちらに招いて、大学を案内したり、モンキーセンターと、あと川島にあるくすり博物館などをを案内した。

大学といったって、生態学関係のものは何もないんだけれど...。モンキーセンターはずいぶん楽しんでくれたようである。

リュドヴィックとは、1999年にリーブルビルで出会って以来のつきあいだ。僕はポスドク1年目、彼はベルギー自然史博物館の大学院生だった。当時のIRETの所長に面会しにいった時に廊下で出会った。意気投合し、「いつか一緒に仕事したいね」などと話したのを覚えている。

その彼が、学位をとってIRETの所長としてガボンに戻ってきた。彼が所長になってから、ガボン人研究者とわれわれムカラバ隊との協力体制が一気に前進した。利害関係でなく、研究者として共感しあいながらつきあえる友人をもててとても嬉しい。

ところで彼は今朝京都へ移動し、日曜には日本を出発する。そのあと帰国するのかと思ったら、母校のあるベルギーへゆき、そのあとニューヨーク、ガイアナ、ふたたびニューヨーク、ベルギー、パリと1ヶ月近く周遊してやっと帰国だそうだ。二才の息子さんがいるそうだが、帰国することには忘れられてしまう、と嘆いていた。親の気持ちはどこでも同じだ。

2008年6月 3日

イラクは食べる--革命と日常の風景(岩波新書:酒井啓子 著)

イラクは食べる--革命と日常の風景(岩波新書:酒井啓子 著)

本書は大学の図書館でみつけて借りて、通勤途中に読んだが、とてもおもしろかった。
中東問題の専門家である著者は、テレビでもよく見かけるが、本書の内容も、テレビでのコメント同様わかりやすく、とても勉強になった。宗派対立とか、反米感情とか、今や時折思い出したように切れ切れに報道される内容からは捉えがたいイラクの実情について、ああ、そういうことだったのか、と何度もうなづかされた。

しかし、本書のもうひとつの魅力は、各章ごとに紹介されるイラクの料理だ。ディナーあり、朝食あり、ファストフードやお菓子もあり。それらの料理は、実はそれほど内容と関連があるというわけではないのだが、なぜか胸を打つ。

なにより、おいしそうである。ちょっと工夫すれば日本でも作ってみることができそうだ。また、アフリカで時々似たような料理にお目にかかることがあり、懐しさも覚える。

そして、レシピや写真を見て食欲が刺激されると同時に、食を通じたイラク人の日常が見えてくる。見えてくる、というより、感じられてくる。これまで現実感のなかった「イラク」という場所で、人々がわれわれと同じように日々料理を作り、それを味わっているということが実感されるのだ。イラク人の息遣いが伝わってくるような一冊である。

2008年6月 1日

トータス松本、チンパンジーと共演 / BARKS ニュース

トータス松本さんが、プロモーションビデオでチンパンジーと「共演」したのだそうだ(BARKSニュースより)。

わりと好きなミュージシャンだっただけに、とても残念だ。しかも、本人(もちろん、チンパンジーではなく松本さんのことだ)の発案によるのだという。

白い犬がでてくるソフトバンクのCMなどは僕も楽しくみている。なぜチンパンジーばかり、そう目くじらをたてるのか、自分の研究している動物はダメで、犬ならいいというのはおかしいのではないか、そういう意見もあるだろう。

だが、確認しておきたいことがある。プロモに「出演」させられたチンパンジー、スマイルは、繁殖を目的に飼育が許可されているのであって、かれを利用したタレント活動は許されていないということだ。

スマイルの飼育者である「市原ぞうの国」は、たびかさなるSAGAによる改善要望や緊急アピール、環境省からの注意にもかかわらず、完全に開きなおってチンパンジーの目的外使用を続けている。恥ずかしいことだ。