2010年3月13日

リーブルビルに戻る


少し、というかかなり早めにリーブルビルに戻ってきた。現地2週間だ。ほんとうはあさってまで調査地にいる予定だったが、リーブルビルでカウンターパートのIRETと調整しなくてはならないことがたくさんあって、時間に余裕をみて戻らないとまたコミュニケーションエラーが生じると思い、予定を早めた。

今回は、今までとは全然別の意味で疲れた。今回は、哺乳類相の総合調査にむけた予備調査とIRETの研究者のトレーニングが目的。3人の研究者を連れて森へ入った。この3人がおそろしく勉強好きなのだ。毎日、森の中で質問、キャンプに戻って質問。質問ぜめだ。しかもなかなかいい質問をする。こっちの勉強不足が試されているかのようだった。

その一方で、研究技能に関する質問は、えーー、そんなことも? と思うような物が多かったり、データを入力してみてね、と言ったらワープロソフトの表機能を使って入力しちゃったりとか、これはこれで大変だった。

しかし、こうしたやりとりを通じて、ガボンの研究者たちの研究環境が見えてきた。彼らには、日本の大学の学部で行われるような「基礎教育」が相当不足しているのだ。知識と手作業は習うのだが、自分で物をあきらかにするための基礎的な技術が足りない。

なるほどそうかぁ、と納得したところで、彼らの質問はとまらない。基礎技能が足りないから、だいたい説明して「あとは自分でやってね」と言うことができない。手取り足取り教えなくてはならない。しかし、やってる作業の意味は理解しているので、「実習だし、時間もないから」と考えて入力でずるをしたりすると、「それっておかしいんじゃない?」と聞かれてしまう。

そんなこんなで、くたびれました。けどまだ終わらない。来週の月曜日は研究室でRの導入講義をすることになった。はぁ。

2010年2月23日

ようやくキャンプへ


リーブルビルに到着して一週間、ようやく調査地へ移動できるめどが立った。最近では、これほど時間がかかったのは久しぶりだ。

キャンプ入りが遅れた原因は、調査許可の遅れだ。JICAのプロジェクトが始まって以降、いろんなことの規模が大きくなったため、日本人研究者とガボン側の意思疎通がなかなかうまくゆかなくなり、先方にさまざまな不満がたまっていたようだ。

結局、いつものように、じっくり議論することで相互理解にいたることができた。けれど、プロジェクト運用上でカウンターパートと齟齬が生じた場合、それを解決するのは専門家の役割なのかなぁ、とか、僕より先に入っている人たちも、もうちょっと先方とのコミュニケーションを密にしてくれないかなぁ、とか、愚痴を言いたくなったりして。

ともあれ、ようやく調査だ。運営管理はあくまで二次的な仕事。頭を切替えてゆこう。
同行している京大のNくん、とても優秀で、刺激になる。森を歩くのが楽しみだ。

2010年2月14日

出発


明日から一ヶ月、ガボンへ行ってきます。JST地球規模課題対応国際科学技術協力事業の一環で、今回は初めてJICAの専門家としての派遣になる。だからといって、渡航の準備に今までと違うことがあったわけではないけれど。

直前まで大学の残務処理でばたばたして、ほかの教職員のみなさんには大変お世話になった。また、昨日、おとといと「犬山落語の会」のイベントに参加して、大喜利なんかしたりして、旅行前の気持ちをととのえることができた。

毎度のことだが、問題山積のフィールドへと旅立つ。実は明日中部空港でいきなり面倒があるのだけれど、JICA専門家になろうがなんだろうが、こういう面倒はなくならないのね。と、何年も前に悟ったはずだが、まあ、面倒は面倒だ。けど、文句いってもしょうがないし、1995年のNdokiの森の苛酷な生活よりもしんどい思いはしていない。だから今回も大丈夫。

というわけで、いってきます。なにはともあれ、花粉と寒さからエスケープできるのはうれしい。

2010年1月15日

ガボン、カメルーンに雪辱

サッカーのアフリカ選手権の予選で、ガボンがカメルーンを1:0で下した。

今さら...。

しかし、これでガボンが日本との強化試合に呼ばれる可能性がでた...かもしれない。

2010年1月 7日

キリクと魔女


学生たちと「キリクと魔女」を見た。

ギニア在住経験のあるアフリカ系フランス人によるこのアニメ映画は、アフリカをモチーフにした優れたアニメだ。知ってる人は知ってると思うが、このアニメ、衝撃の結末なのだ。「衝撃の結末」とはこういうことを言うのだと思う。誰も予想できない。

見終った学生たちの感想も、ひとしきりそれでもちきりだった。途中で寝てしまった学生は、最後まで見た学生とまったく話があわない。

そのほか、色彩や音楽が今まで見たことがあるアニメと全然ちがうという感想が多かった。たしかに。

この映画の魅力は、小道具だ。村の家や家財道具、服装や村の暮しぶりなど、もうほんとうのアフリカの村にそっくり。また、動植物もとてもリアル。いくつかの動植物は、種名までちゃんとわかるほど。

村人の身振りやしぐさもすごい。大きく腕をふって演説するおばさんとか、川であそぶ子どもたちの動きとか。そして音楽。現代的アレンジはしているけど、アフリカ音楽のエッセンスはしっかり凝縮されてる。そして村人は何かあるとすぐ歌い、踊る。そこもアフリカっぽい。

ひとり、「歌ったり踊ったり、ディズニーっぽかった」という感想を述べた学生がいた。それは、指摘されるまでまったく思いつかなかった。たしかにディズニー映画も歌って踊る。

だが、なんというんだろう。ディズニーのアニメは、何をモチーフにしようと、そのすべてが「ディズニー化」されているように思える。「アラジン」はちっともアラブっぽくないし、「ポカホンタス」は見てないけど、現実のネイティブ・アメリカン的要素はすっかり消されていたどころか、ひどい歪曲がされていたと聞く。白雪姫だってそうだ。グリム童話だってことを忘れそうになる。というか、白雪姫といえばディズニー、みたいになっている。

結局、ディズニーアニメの「舞台」は、ディズニーランドなのだ。作中人物が歌い、踊るのは、観客にむけたショーである。でも、「キリク」の中でみんなが歌い、踊るのは、ある意味"ほんとうに"歌って踊りたくなって、それで歌って踊っているのだ。

ということが、伝えられたらよかったな。

あと、余談だが、フランス語がみじかく完結で、耳で聞いてぜんぶわかった。子どもむけ映画は、耳を鍛えるのにいいかも。