2011年1月12日

[読書]岡村道雄「旧石器遺跡捏造事件」(山川出版)

旧石器遺跡捏造事件
旧石器遺跡捏造事件
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岡村 道雄
山川出版社
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出張の帰りに立ち寄ったアバンティ京都駅前ブックセンターで平積みになっていたのを見つけ、ぱらぱらとめくっているうちにちゃんと読みたくなって購入した。著者は捏造者の極めて近にいて、ある意味彼の捏造した「成果」にお墨付きを与えた人物だという。そういう人物が、長期に渡るあからさまな捏造がなぜ可能だったのかを考察した本だという。しかも最近捏造者本人と再会し、インタビューもしたという。非常に興味をそそられた。

しかし、結果として読後感は肩透かし以外の何ものでもなかった。まず、捏造者本人はほとんどのことを「忘れてしまった」と言って結局何も明かしていない。捏造した「ゴッドハンド」の指を切り落としていたという事実は、それを本書で初めて知る人には衝撃的かもしれないが、ずっと前からWikipediaに掲載されていた程度の情報だ。

周囲がなぜ見抜けなかったのか、という疑問に対しては、お決まりの「学問のすすめ方に問題があった、発見の妥当性を検証する姿勢に欠けていた」というお題目以上のことは述べていない。

が、本書を読んでいくつかわかったことがある。それは著者の伝えたかったこととはだいぶ違うかもしれないが。

1 当時、捏造はとっても簡単だったようだ。

調査隊はみんな自分の受け持ちを発掘していて、隣の人が何をしているかなど見ていないそうだ。また、夕方~朝までの現場の管理もいいかげん。事件以降、捏造を防ぐための対策がなされたとかかれているが、それらの対策はすべて「掘り出されたもの」が本物かどうかを精密に検証するというもので、誰かが何かを「埋めないように」する対策についてはほとんど記されていない。記されてないだけで対策はしているという可能性はあるが、それもやや不自然だ。だから現在でも「埋めさせない対策」はあんまりしてないんじゃないかと思う。

だから、もともとちょっとした捏造は日常茶飯事だったのじゃないかな、とつい思ってしまった。

2 毎日新聞のスクープ以前から、近い関係者はみんな見て見ぬふりをしていたようだ。

本書ではいかにも「疑念はあったがまさかと思っていた。」というふうに記述されているが、おかしすぎる。だって各地の遺跡のほとんどで、藤村氏が第一発見者、というかすべてを発見していたんだから。見つからないと彼を呼んだという感じすらある。それから、「一緒にこれがでないとおかしい」と指摘すると翌日はそれが発掘されたんだって。著者は意図せず藤村氏のつじつま合わせを手伝う結果になっていたと反省してみせるが、うーん、僕は信用できないな。共犯ではないとしても、わかってたでしょ、と言いたい。

3 藤村氏の捏造に周囲がだまされたのは(本当にだまされていたのだったとしたら)、彼の掘り出す「成果」が周囲の研究者の予測に合致していたからではなく、単に「より古い地層からすごいものが出てきていたから」だったようだ。

著者は業界の姿勢に問題があったというが、どう問題だったかをつっこんで反省していない。発見重視の姿勢に問題があったようなことは述べている。しかし僕にはむしろ逆に思える。かれらは、発見を等しく重視するのではなく、うれしい発見とうれしくない発見を分けていたのだ。さらに、うれしい発見とは自らの学説にマッチする発見ではない。古ければよい的な発想だ。

ピルトダウン事件は「人類の祖先は『頭は人間、体は類人猿』である」という学説を支持する人たちがやったのだろうし、それにとびついたのはやはりその説を支持する人々だった。学説そのものは論理的というよりむしろ「願望」に近いものだったけれど、ともかく学術の世界で議論されていたことだったのだ。

けれども、藤村氏は自分で何らかの学説を唱え、それに沿って捏造していたのではない。また、著者をはじめ周囲の関係者たちも、自分の説にマッチする捏造だったからだまされたのでもない。藤村氏はただ一般人にうけそうなことをやり、関係者はみんなにうけるから深く考えずに迎合していた。

なんか、ほんとにしょうもない事件だったのだなぁ。ということがよくわかる一冊であった。

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