江戸時代の子育ては「正直」と「慎み」
ゴールデンウィークとは、昼間に家庭(娘)サービスをして、夜に押しまくってる仕事をする日々のことであったよ...。3日連続で連れ出して遊んでやったおかげで、さすがに今日はワガママを言わぬ娘であった。というわけで、午前中は図書館の視聴覚コーナーでビデオ観賞してもらうことに。
とはいうものの、このご時世、目を離すわけにもゆかず、つきそいである。僕が小2のときは、一人で県立図書館に行って本借りてたのに...。
つきそいながら読んだのがこの本。
角川SSコミュニケーションズ
売り上げランキング: 173605
著者は「往来物研究家」を自称している。「往来物」とは、江戸時代にいろんな人がものした、まあ教科書のようなものである。その中から、子育てや人育てに関する書物を集め、江戸時代の子育てや「人生指針」がいかなるものだったかを探求したのが本書である。
「◯◯の子育て」(◯◯には地名や歴史区分や動物種を挿入)といった本にありがちな、「今の子育てはまちがい。◯◯を見習うべき」というおしつけがましいところがなく、原典を読みながら「へぇー、そうだったんだー」と素朴に驚いている著者の姿が目にうかぶような本だ。僕も読んでいて「へー」と思うことしきりであった。
庄屋さんが子孫のために書いた「茶飲み話」や、文筆家のものした教育論など、子育てや人材育成はずっと昔っから人々の関心事だったのね、と感心。
特に子育てに関する部分を真剣に読んだが、いろんな書物に共通しているのは、
「子どもを幸せにする」「子どもを丸ごとうけとめる」といった視点がまったくない。
ということだ。
現代社会では、子育ての目標って何だろう、みたいなことで多くの人が悩んでいて、僕も悩んでたりする。そして、悩める僕たちに、育児のオーソリティたちは「子どもの最大限の幸せですよ」とか「子どもには無限の可能性があるんですよ。それを伸ばしましょう。」とか、いろんな難しいことを求めてくる。
本書に出てくる江戸時代の子育て指南は、そうしたことと無縁だ。子どもを幸せにする、といった視点自体がない。というと少し言いすぎだろうか。でも、江戸時代の幸せって「とんでもなく不幸にならないこと」だったんだなあ。
まあ、現代の子育ての目標が「子どもの利益(幸福)の最大化」だとしたら、江戸時代のそれは、「子どもの最小限度の幸福の保障」だと言える。
最小限度の保障だから、最大化のためと称して「おかしなこと」をせよと言わない。おかしなことっていうのは、たとえば「うつぶせ寝」とか「カンガルーポジション」とか「ゆとり教育」とか「インド式計算」とか「伝統遊びの継承」とかだ。そんなややこしくて、耐用年数の短いことなんか言わない。至ってシンプルである。
「子どもには『正直』を教えなさい」
正直者に育てておけば、子どもは没落したりせず、つつがなく生きられる。ここで正直というのの中には、嘘をつかないだけではなく、出し抜いたり欲をかいたりしない、慎み深さも含まれている。
本書を読んだ最初の感想は、「そうそう、子育てなんてそれでいいよね。子どもの最大の幸せとか自己実現とか、そんなんじゃなくって、「つつがなく」生きられればさぁ」というものだった。
とはいえ、じゃあ今後は家の子には「正直」だけを教えてればいっか、というわけにも、やっぱりいかないんだよね。それはやっぱり、現代社会を生きる身である自分の中に、自己実現したいとか、幸福追求したいという気持ちがあって、自分の子にも同じようにそういう道を準備してやりたいと思うからだ。
それに、江戸時代だって、かくもたくさんの「子育てマニュアル」があったということは、やっぱりみんな子育てに悩んでたってことなんだよね。
でもまあ、「ねばならない」式の話ばかりの昨今、異文化や昔の子育てマニュアルを読むのはいい気分転換になる。最近、僕のまわりでは、もうすぐ出産だとか、もう出産したとかいう人が増えているが、彼女たちにも一読をおすすめしたい。
コメントする