たった1分で人生が変わる片づけの習慣(小松易、2010年)
日経ビジネスアソシエで紹介されていて、よさげだったので立ち読みした挙句に購入してしまった。片付けが苦手な僕は研究室も自宅も散らかり放題で、しばしば「大掃除」をするのだがたいてい元の木阿弥になってしまい、苦しんでいる。
しかし、1週間ほどこの本の言うとおりに片付けを実践しているうちに、これはひょっとして革命的な本かもしれないと感じた。もっとも、それは部屋が片付くかもしれないという期待であり、人生が変わるかどうかは保証の限りではないが。
革命的、と僕が感じたのはこの本が推奨する「片付けサイクル」である。それは、
- 出す
- 分ける
- 減らす
- しまう
という4つの行動の連鎖だ。ある場所、たとえば引き出しの中のものをいったん全部机上にだし、いるものといらないものに分け、いらないものを捨てるか人にあげるかして減らし、最後にいるものだけを元の場所にもどす。ここで重要なのは、元の場所にもどすというところだ。元の場所に、というところが革命的なのだ。(僕にとっては)
きっとこれは片付けが得意な人には当然すぎて革命的だとは思えないだろう。だって、そもそも片付けるって元の場所に戻すってことだもんね。ところが、片付けが苦手な人は元の場所に戻すのが苦手だから片付かない。
だったら元の場所に戻しましょうというのは当然のアドバイスで、やっぱり革命的でも何でもないじゃないかというと、そうではないのだ。片付いていない人は、「物を元の場所に戻していない」から片付いていないと考えている。言い換えると、「今それがある場所は、もともとそれがあるべき場所ではない」と考えているのだ。つまり、片付け下手にとって、片付けとは「それを今現在ある場所から、どこか別の、本来あるべき場所に移動させること」だと考えているのである。
そして、本書以外のいわゆる「片付けマニュアル」ではその思考にそって、物をどうやって移動させると片付くか、ということについて書かれている。典型的なのが次のようなやつだ。
「今散らかっているものを一旦全部ダンボールに入れてしまいなさい。そして、これからは必要なものだけをそこから取り出し、決め直した収納場所に片付けなさい」
片付け下手がこのやり方をするとどうなるか。経験者なら容易にわかると思うが、というか(僕の部屋のように)そうなっていると思うが、去年のダンボール、一昨年のダンボール、というふうに、片付けを決意した時につくったダンボールがたまっていくのである。
本書がいう「元の場所」というのは、本来あるべき場所という意味ではない。片付けを始める時にあった場所のことだ。ここに本書の革命性がある。
散らかしたその場所に戻したら結局片付かないじゃないか、と思うかもしれない。しかし実際やってみるとかなり「片付く」。なぜかというと、次のような効果があるからだ。
- まず、いらないものを捨てるので物が減る。すると、元の場所に戻しても嵩が減るのでスペースができる。
- いくつかの物は分ける作業の中で「つい、本来の場所に戻してしまう」。要は所在不明だった物を見つけて、真の意味で片付けてしまうのだ。
- 上と関連するが、分ける作業の中で、たとえばやりかけの雑務の書類などを見つけて、それを終わらせてしまい、場所だけでなく仕事も片付く。
- 分けてる最中に、そこに何があるかを把握してしまう。だから、それまで「適当に積んであっただけ」の書類の山が「必要書類の山」になる。片付けの最終目的は「何がどこにあるか把握する」ことなので、極端な話、物が減らなくても片付いたことになる。
この方法にはもうひとつ革命的なことがある。それは、この方法だと「大片付け作戦」が不要なことだ。本書の中でも、片付けに何時間もかけない、むしろ時間をかけてはいけないと書かれている。引き出しひとつとか、書類ケースひとつとか、ちびちび、普段の仕事をやりながら進める。
本書では明言されていないが、元の場所に戻すという方法と、ちびちび片付けは密接に関連している。元の場所に戻すことによって、ちびちび片付けが可能になっているのだ。
物の移動をともなう片付け法をはじめると、たいていの場合「どこにしまえばいいのかわからない」物がでてくる。そしてその処理に時間がかかったあげく、とりあえずここにおいておこう、と新たな場所に物を置くことになり、かえってちらかるのだ。
しかし、元の場所に戻すだけ、というのをくり返していると、やっぱりいつかは物が溢れかえってしまうのではないだろうか。それに対する本書の答えは「たいていの物には賞味期限がある」だ。つまり、たいていの物はいつか不要になり、捨てられる運命にあるというわけだ。
もしも捨てられない物が増え続けているとすれば、それはあなたが「始めた事」を終わらせていないということなんだ。要するに物を片付けるというのは、やりかけのことに「片をつける」ということなんだ。実に耳の痛い指摘であるが、真理だ。ほんと、いろいろ片をつけていかなくちゃ。