2012年7月24日

今は暑いか? そして暑いとはどういうことか?

昨夜のNHK総合、クローズアップ現代「"そこに自分の考えはあるか" 音楽評論家・吉田秀和の遺言」は見応えがあった。そして、ここ数日考えていた、この暑さについての自分の考えを述べてみたくなった。

テレビは(NHKも!)さかんに暑い暑いと連呼するが、今年の夏は去年より暑くない。少なくとも僕の住んでるところはだ。なのに、会う人会う人「暑いですね」と言う。その言葉のほうがずっと暑苦しい。

僕は暑くないと言いたい訳ではない。夏だから暑いし、ヒートアイランドで30年前よりは暑くなってるけれど、一億総暑いみたいにわめくほどは暑くないということを言いたい。

だいたい、エアコンの効いた自宅から自家用車で出勤し、もちろん車内はエアコンを効かせて、駐車場からやはりエアコンの効いた教員控え室まで1分くらい歩くのに、暑いもくそもあるかよと思う。うちなんか扇風機すらまだ使ってない。うちわで十分だ。

研究室は日当りがよいのでさすがに今日は冷房を入れたが、うちの大学のキャンパスは節電のために中央管理で冷房を27度に設定してあるのだが、十分である。うちわを併用すれば何の問題もない。

冷房の設定温度が27度でも、実際には30度くらいになる。暑いのは暑いよ。でも、夏なんだから暑くていいじゃないか。室温が35度なら困るが、30度なら夏だ。エアコンの普及していなかった30年前でも、日中は30度くらいになったものだ。

週に1、2回自転車通勤をしているが、明らかに去年より暑くない。朝方は日差しもさほどきつくないし、照り返しもない。走れば風があたって涼しい。汗はかくが、大学についたら濡れタオルで身体を拭いて着替えると快適だ。帰宅したら水浴びでやはり快適だ。

そこで考えたのだが、そもそも「暑い」ってどういうことだろうか?

暑くないとかいいながら、自転車で40分も走るとやはり「暑い」。でもその暑さは着替えれば解消する。つまり、「暑い」と思っていたのは、実は「汗ばんで気持ち悪い」ということだったのだ。

夕方うちに帰ったときも「暑い」。が、その暑さの正体は「自分の身体が熱い」である。だから水を浴びて冷やせば解消する。

午後3時ごろに外を歩くと「暑い」。が、感覚をとぎすませてみると、気温が高いのではなく、「日差しが強く」「照り返しがきつい」のだ。信号待ちなど、日陰に入ると全然違う。運悪く交差点に日陰がないときは、交差点のだいぶ手前の日陰で信号待ちをすることでかなりしのげる。

ほかにも、われわれが何も考えずに「暑い暑い」と連呼しているのは、よくよく吟味してみると、その正体は「のどがかわいた」とか「自動車が熱をもってる」とか「湿度が高い」とかだったりする。なのに、自分の感覚にもとづいて「暑い」の内実を考えることなしに、すぐにエアコンをつけたがるのはよくないと思う。エアコンは閉鎖空間の空気を冷やす機械であって、のどの渇きを潤したり、汗をかいた服を乾かしたり、太陽の光をさえぎったりする道具じゃない。のどが乾いたら水分補給、汗をかいたら汗を拭く。身体がほてったら水浴びする、日差しが強ければ日陰にゆく、と個別の対応をするべきだ。

夕方のNHKニュース(近頃のNHKは「暑い暑い」と「ロンドンオリンピックはまだはじまってなくてネタがないけど騒ぐぞ」しかやらない)で、熱中症で搬送された人の数が過去最高だと言っていた。だがそれは暑いからではなく、暑さの多様な側面に頓着せず、ばかの一つ覚えでエアコンに頼っているからではないのだろうか?

2012年7月 3日

ふたたび「雑食動物のジレンマ」〜なぜ生レバーは危険な食品になったのか?

厚生労働省は7月1日以降、飲食店等で生レバーを出すことを禁止した。禁止した理由は、生レバーにはO157などの毒性の強い大腸菌が含まれている可能性が高く、危険だからだ。

危険だから禁止しているのに、NHKを含むマスコミは6月末に焼肉店等で駆け込みで生レバーを食べる人たちを面白おかしく報道し、生レバー食を煽った。もしあれで被害がでていたらどうするつもりだったのだろう?

僕はユッケは好きだったので、去年のユッケ禁止は残念だったが、生レバーは別に好きじゃないのでどうでもいい。それはともかく、もはや牛の臓器は生で食べてはいけないということをよくよく認識したほうがよさそうだ。

生レバーにせよユッケにせよ、法的に禁止するのはおかしい、というような議論がある。生レバーや生肉を食べる食文化は、国内外で長い時間をかけて育まれてきたものだ。昔からリスクはあった。リスクのない食品なんてない。たまたま衛生管理のよくない店で食中毒が発生したからといって、全面禁止はおかしい。リスクを周知して、自己責任で食べるようにしたらいいではないか、というわけだ。

なんでもかんでも法律で禁止するのは僕も嫌いだ。だが、この議論には賛成できない。なぜなら、この議論は、今あるリスクが昔からあったものだとしているが、それは大きな間違いだからだ。

そう、昔は生レバーや生肉による感染リスクは低かったのだ。しかし、肉牛の身体は人間を詞に至らしめる病原性細菌によってすっかり汚染されてしまっているのだ。

なぜそんなことになったのだろう?マイケル・ポーランの「雑食動物のジレンマ ──ある4つの食事の自然史」によると、それは現代の肉牛は牧草でなくトウモロコシ飼料を食べているからだという。

牛は本来、草食動物だ。しかし、栄養価の低い牧草で育てるより、高カロリーのトウモロコシ飼料で育てた方が効率的だ。だから今の肉牛はトウモロコシで育つ。

牛の腸内にもたくさんの腸内細菌がいる。草を食べる牛の腸内はほぼ中性なので、腸内細菌は中性の環境に適応している。

これに対して、雑食動物である人間の胃は強い酸性である。牛の腸内細菌に汚染された肉やレバーを摂取しても、それらの細菌は胃を通過できずほとんど死滅してしまう。だから生で食べてもそんなに危険はない。

ところが、トウモロコシで育つ牛の腸内は人間に負けず劣らず酸性である。そのため、腸内細菌は酸性に適応する。だから、トウモロコシで育った牛の腸内細菌は人間の胃をスルーできる。

それらの腸内細菌は人間だけでなく牛にも有害である。だから牛たちはたくさんの抗生物質を投与されて育つ。すると、抗生物質に耐性のある、強烈な大腸菌が進化した。

その中には、人間に感染すると重篤な症状をひきおこすものがある。O157はその一種だ。だから、今の牛は危険なのだ。

ユッケや生レバーの事件や、産地偽装問題、数年前の農薬入り冷凍餃子事件などによって、われわれは、食卓にあがる前の食品がどう扱われているかについて無知だったことを思い知った。そして、そういうことにとても敏感になった。おかげで食品業界は衛生管理にものすごく気を使わねばならなくなった。

それ自体はいいことだ。だがわれわれは、食品が食品になるまでのプロセスについては、食品の取扱いプロセス以上に無知なのだ。見た目は同じ生レバーでも、どこで生産された牛のレバーなのか、その牛はどんな餌を食べていたのか、そしてその餌はどうやって栽培されたのか、を考えると、今の生レバーは昔の生レバーとはまるきり別物であることに気づく。

本当に食文化として生レバー食を守りたいのなら、そういうことに目をつむって法律に反対するだけではまったく不十分だ。食文化としての生レバー食は、肉牛の飼育に関する文化によって支えられていたのである。法律による禁止が食文化を破壊するのではない。逆である。食文化が破壊されてしまったから法律で禁止するのだ。

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マイケル・ポーラン
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