2013年1月 8日

年頭所感(2013年)

この年末年始は思い切って1週間完全オフで、仕事を忘れてのんびり過ごした。おかげさまで、昨日の仕事始めから鋭気がみなぎっている。

今年はガボンのプロジェクトもそろそろ出口が見えてきたし、大学をめぐる状況も大きく大きく変わろうとしている。毎年のように正念場を迎えているが、今年こそほんとうの正念場だ。

今年の活動目標は、だいたいこんなもんだろうか。

  1. プチロアンゴの仕事にケリをつける。
  2. JICAプロジェクト以前のムカラバのデータをきちんとまとめる。
  3. 「アフリカ子ども学」
  4. 「他者研」http://www.aa.tufs.ac.jp/ja/projects/jrp/jrp189
  5. 科研費が通ったら「ヒトの子どもの共同育児への適応」
  6. 危機の人類学研究会
  7. アフリカの自然保護
こうしてみると、サルをやりつつもヒトのほうを眺めるような立ち位置になりそうだ。もうあまりぶれずにこの路線でいくことにしよう。

それから、SNSはほどほどに。その代わり、もう少しまとまった文章を書いてブログを充実させたい。和文・英文のpublicationも。

2012年10月31日

はじめて学会に参加する人のための7つのTips


さいきん、同僚や友達のあいだで、若手大学院生の学会発表の態度がよろしくない、という会話をよくするようになった。
たしかに、学会時における若者の行状にはいろいろ不満があるのだが、みんなが愚痴っている内容をよく考えると、不満の根源はシンプルだ。
それは、若者はただ発表という"手続き"をこなすこと以外に興味がなく、人と交わろうとしない、というものだ。

じっさい、学会発表をキャリアアップのための"業績"づくりの場としか考えていないような若者が増えている感じはする。
自分の発表の日だけ参加して、懇親会にもでないとか。発表に対して質問やコメントがあっても、単にその場を乗り切ればいいやというような返答しかしなかったりとか。

けれど、中には学会でもっといろんな人と交わりたい、ほかの研究者と交流したい、という希望をもっていながら、気後れしてうまくできない、という人もいるだろう。
むしろそう言う人が多数派だと思う。

そこで、学会でより研究交流を進めるための若者向けのTipsをいくつか記しておこうと思う。
ちなみに以下に記すことの半分くらいは、僕がM1のときに助手だったIさんから明示的に教わったことだ。こういうことをちゃんと教えてくれる人がいたことに、本当に感謝している。

1.名刺を作っておこう

学生はふだん名刺など使わないものだが、学会には自作でよいので名刺をもってゆき、新しく知り合いになった人に渡そう。
新米のあなたに名刺をもらっても、相手からあなたに用事があることはない。けれど、世の中には名刺交換という風習があって、名刺を渡された人は自分の名刺を相手に渡すことになっているのだ。あなたは自分が名刺をくばることで、交流を深めたい人の名刺をゲットできるというわけだ。その名刺をどう使うかは7に記す。

2.できるだけ早いうちに、自分の発表の座長を探して挨拶をしよう

発表者は事前に座長に挨拶するのが礼儀である。とはいうものの、あなたの先輩や指導教員はそんなことはしていないかもしれない。だがそれは先輩や指導教員が礼儀知らずなのではなく、座長と知り合いで、さほど礼儀に気を使わなくていいからだ。あなたは新米なのだから、しっかり座長に挨拶をしなくてはならない。

しかし、プログラムに座長の名前はあるが、あなたはその人の顔を知らない。そういうときは、先輩や指導教員に「私の発表の座長の誰々さんにご挨拶をしたいので紹介してください」とお願いしよう。

なんと言って挨拶するか。「先生のセッションで発表する某です。よろしくお願いします。」で十分だ。親切な人だったら「どんな発表するの?」とか「質問してほしいことある?」と聞いてくれるかもしれない。じつは、口頭発表には、自分のセッションの発表に対してフロアから質問もコメントもなかったら座長自ら質問する、という不文律がある。だから座長はいざというときの質問を準備しておかなくてはならないのだ。発表者が座長のよく知っている人なら、あいつはだいたいこういうことを話すだろうからこれを聞けばいいや、と思える。しかしあなたは新参者だ。あなたがどんな人で何を話すのか、抄録だけではよくわからない。だから座長も事前にあなたと話せるとうれしいのだ。

3.発表時間は超過するより余る方がだんぜんよろしい

発表時間が余って、質問もないと、沈黙の時が流れ、たいそう緊張する。けれど、時間超過するよりずっとよい。なぜなら、発表時間を超過すると質問時間をとってもらえないからだ。

自分の発表に対する質問やコメントは、自分に対する試練と捉えてはならない。新米のあなたにとって、質問とは「フロアにいる誰が自分の研究テーマに関心があるのか」を知る絶好のチャンスなのだ。いわば発表は「釣り」だ。極端な話、質問に答えられなくても、コメントの意味が理解不能でも構わない。自分がそのテーマを探求し続けるかぎり、質問者とは深く関わってゆくことになろう。関わりの最初の一歩が質問なのだ。時間超過して質問タイムがはしょられてしまったら、あなたはその機会を失うことになる。

4.自分の発表に質問やコメントをしてくれた人を覚えて、セッションのあとや懇親会のときにお礼を言おう

新米のあなたは学会に知り合いがいない。自分は相手を知っていても、相手は自分を知らない。だから話しかけづらい。だが、座長をしてくれた人や、質問してくれた人は、間違いなくあなたのことを知っている。話しかけない手はない。しかも、あなたには「お礼を言う」という大義名分がある。臆することはない。

お礼を言われて気分の悪い人はいない。それに、質問者に話しかけるというのは意欲のあらわれだし、自分の質問を真剣に考えてくれているのだなと感じてうれしいものだ。また、学会発表の質問時間というのは短く、言いたいことの全部を言えていないことがままある。質問者はもっとあなたをいじめてやりたかった(?)と思ってるかもしれない。そこへネギを背負った鴨のごとくあなたが現れるわけだ。懇親会なら酒も入っているし、セッションのときより饒舌に相手をしてくれることだろう。

5.偉い人と知り合いになりたかったら、懇親会で自分の指導教官に紹介してもらおう

あなたは学会で発表するくらいだから、そのギョーカイの優れた研究者を何人か知っていて、この機会にお近づきになりたいと思っているはずだ。でも、いきなり自分で話しかけ、自己紹介しても、軽くあしらわれるだけかもしれない。その人はあなたの発表なんか聞いていないかもしれない。怖そうな顔をしてるかもしれない。誰かとのお喋りに興じていて話しかけづらいかもしれない。

そんな時は、遠慮せず、先輩や指導教官に「誰々先生を紹介してください。」とお願いしよう。それを断るような奴は先輩でも指導教官でもない。もっとも、先輩や指導教官もその人とさほど関わりがないこともあるが。

先輩や指導教官を通じて紹介してもらうと、普通はわざわざ紹介された人をむげに扱うこともできないものだ。そこで相手から「どんなことをやってるんですか?」なんて聞かれたりする。うれしいことだ。発表が翌日であれば、明日発表するんです、と言うのも忘れずに。もしかしたら聞きにきてくれるかも。名刺も忘れず渡そう。

6.偉い人に話しかけづらかったら、その人の学生に話しかけて仲良くなろう

自分が話したい人と、どうしてもつながりがないときの一つの方法がこれだ。その先生の研究室の人に話しかけよう。学年や年齢が近ければ話しかけるハードルは低い。
話しかけ方だが、これもシンプルに「誰々先生の研究室の方ですよね?」と言えばいい。そして、「私は今こういう研究をしているのですけど、あなたはどんな研究をされてるんですか?」と続ける。

そうやってその人と話していると、本当のお目当ての先生がふとやってくるかもしれない。そうすれば、ちゃっかり先生を囲む一団に入ることができる。

ここで注意しなくてはならないのは、ちゃんと自分が話しかけた人と対話する、ということだ。「誰々先生は今どんなことをされてるのですか?」「誰々先生はふだんどんな方なんですか?」と質問ばかりしていては、相手は楽しくない。うざいと思うだろう。直接話せよって、感じだ。誰だって、自分に興味のある人と話すほうが面白い。

そして、そのようにして作った知り合いは、これからあなたにとって大切な財産になる。有名どころの偉い人は、どうせ自分とそんなに親しくしてくれないし、早く退官しちゃう。年齢の近い友人を増やすほうが、長い目で見たらベネフィットが大きい。

7.連絡先を教えてくれた人には、数日後に挨拶メールを送ろう

これもある種の礼儀だ。たいしたことを書く必要はない。「何々学会のときに(お話させていただいた/座長をしていただいた/質問していただいた)某です。その節はありがとうございました。今後もよろしくお願いします。」で十分である。ちなみに連絡先はもらった名刺に書いてある。いちいち尋ねなくてもよいのだ。

もっとも、あなたがそんなメールを送ったところで、返事がくることは多くない。では何のためにそんなことをするかというと、覚えてもらうためだ。後日メールを受け取った人は、えーと誰だったかなと一度は思い出そうとするのだ。だって、大事な人だったら返事をださなくてはならないから。しかし、思い出してみたら新米院生のあなただったとわかり、じゃあいいか、と放置される。

それでも、一度思い出してもらったことは、次回に役立つのだ。次回、別の学会などでその人に会った時、思い出してもらえるか。このお礼メールが左右すると言っても過言ではない。

以上、思いつくままに並べてみた。放任主義の研究室にいる若手院生の参考になれば幸いだ。 

はじめて学会に参加する人のための7つのTips


さいきん、同僚や友達のあいだで、若手大学院生の学会発表の態度がよろしくない、という会話をよくするようになった。
たしかに、学会時における若者の行状にはいろいろ不満があるのだが、みんなが愚痴っている内容をよく考えると、不満の根源はシンプルだ。
それは、若者はただ発表という"手続き"をこなすこと以外に興味がなく、人と交わろうとしない、というものだ。

じっさい、学会発表をキャリアアップのための"業績"づくりの場としか考えていないような若者が増えている感じはする。
自分の発表の日だけ参加して、懇親会にもでないとか。発表に対して質問やコメントがあっても、単にその場を乗り切ればいいやというような返答しかしなかったりとか。

けれど、中には学会でもっといろんな人と交わりたい、ほかの研究者と交流したい、という希望をもっていながら、気後れしてうまくできない、という人もいるだろう。
むしろそう言う人が多数派だと思う。

そこで、学会でより研究交流を進めるための若者向けのTipsをいくつか記しておこうと思う。
ちなみに以下に記すことの半分くらいは、僕がM1のときに助手だったIさんから明示的に教わったことだ。こういうことをちゃんと教えてくれる人がいたことに、本当に感謝している。

1.名刺を作っておこう

学生はふだん名刺など使わないものだが、学会には自作でよいので名刺をもってゆき、新しく知り合いになった人に渡そう。
新米のあなたに名刺をもらっても、相手からあなたに用事があることはない。けれど、世の中には名刺交換という風習があって、名刺を渡された人は自分の名刺を相手に渡すことになっているのだ。あなたは自分が名刺をくばることで、交流を深めたい人の名刺をゲットできるというわけだ。その名刺をどう使うかは7に記す。

2.できるだけ早いうちに、自分の発表の座長を探して挨拶をしよう

発表者は事前に座長に挨拶するのが礼儀である。とはいうものの、あなたの先輩や指導教員はそんなことはしていないかもしれない。だがそれは先輩や指導教員が礼儀知らずなのではなく、座長と知り合いで、さほど礼儀に気を使わなくていいからだ。あなたは新米なのだから、しっかり座長に挨拶をしなくてはならない。

しかし、プログラムに座長の名前はあるが、あなたはその人の顔を知らない。そういうときは、先輩や指導教員に「私の発表の座長の誰々さんにご挨拶をしたいので紹介してください」とお願いしよう。

なんと言って挨拶するか。「先生のセッションで発表する某です。よろしくお願いします。」で十分だ。親切な人だったら「どんな発表するの?」とか「質問してほしいことある?」と聞いてくれるかもしれない。じつは、口頭発表には、自分のセッションの発表に対してフロアから質問もコメントもなかったら座長自ら質問する、という不文律がある。だから座長はいざというときの質問を準備しておかなくてはならないのだ。発表者が座長のよく知っている人なら、あいつはだいたいこういうことを話すだろうからこれを聞けばいいや、と思える。しかしあなたは新参者だ。あなたがどんな人で何を話すのか、抄録だけではよくわからない。だから座長も事前にあなたと話せるとうれしいのだ。

3.発表時間は超過するより余る方がだんぜんよろしい

発表時間が余って、質問もないと、沈黙の時が流れ、たいそう緊張する。けれど、時間超過するよりずっとよい。なぜなら、発表時間を超過すると質問時間をとってもらえないからだ。

自分の発表に対する質問やコメントは、自分に対する試練と捉えてはならない。新米のあなたにとって、質問とは「フロアにいる誰が自分の研究テーマに関心があるのか」を知る絶好のチャンスなのだ。いわば発表は「釣り」だ。極端な話、質問に答えられなくても、コメントの意味が理解不能でも構わない。自分がそのテーマを探求し続けるかぎり、質問者とは深く関わってゆくことになろう。関わりの最初の一歩が質問なのだ。時間超過して質問タイムがはしょられてしまったら、あなたはその機会を失うことになる。

4.自分の発表に質問やコメントをしてくれた人を覚えて、セッションのあとや懇親会のときにお礼を言おう

新米のあなたは学会に知り合いがいない。自分は相手を知っていても、相手は自分を知らない。だから話しかけづらい。だが、座長をしてくれた人や、質問してくれた人は、間違いなくあなたのことを知っている。話しかけない手はない。しかも、あなたには「お礼を言う」という大義名分がある。臆することはない。

お礼を言われて気分の悪い人はいない。それに、質問者に話しかけるというのは意欲のあらわれだし、自分の質問を真剣に考えてくれているのだなと感じてうれしいものだ。また、学会発表の質問時間というのは短く、言いたいことの全部を言えていないことがままある。質問者はもっとあなたをいじめてやりたかった(?)と思ってるかもしれない。そこへネギを背負った鴨のごとくあなたが現れるわけだ。懇親会なら酒も入っているし、セッションのときより饒舌に相手をしてくれることだろう。

5.偉い人と知り合いになりたかったら、懇親会で自分の指導教官に紹介してもらおう

あなたは学会で発表するくらいだから、そのギョーカイの優れた研究者を何人か知っていて、この機会にお近づきになりたいと思っているはずだ。でも、いきなり自分で話しかけ、自己紹介しても、軽くあしらわれるだけかもしれない。その人はあなたの発表なんか聞いていないかもしれない。怖そうな顔をしてるかもしれない。誰かとのお喋りに興じていて話しかけづらいかもしれない。

そんな時は、遠慮せず、先輩や指導教官に「誰々先生を紹介してください。」とお願いしよう。それを断るような奴は先輩でも指導教官でもない。もっとも、先輩や指導教官もその人とさほど関わりがないこともあるが。

先輩や指導教官を通じて紹介してもらうと、普通はわざわざ紹介された人をむげに扱うこともできないものだ。そこで相手から「どんなことをやってるんですか?」なんて聞かれたりする。うれしいことだ。発表が翌日であれば、明日発表するんです、と言うのも忘れずに。もしかしたら聞きにきてくれるかも。名刺も忘れず渡そう。

6.偉い人に話しかけづらかったら、その人の学生に話しかけて仲良くなろう

自分が話したい人と、どうしてもつながりがないときの一つの方法がこれだ。その先生の研究室の人に話しかけよう。学年や年齢が近ければ話しかけるハードルは低い。
話しかけ方だが、これもシンプルに「誰々先生の研究室の方ですよね?」と言えばいい。そして、「私は今こういう研究をしているのですけど、あなたはどんな研究をされてるんですか?」と続ける。

そうやってその人と話していると、本当のお目当ての先生がふとやってくるかもしれない。そうすれば、ちゃっかり先生を囲む一団に入ることができる。

ここで注意しなくてはならないのは、ちゃんと自分が話しかけた人と対話する、ということだ。「誰々先生は今どんなことをされてるのですか?」「誰々先生はふだんどんな方なんですか?」と質問ばかりしていては、相手は楽しくない。うざいと思うだろう。直接話せよって、感じだ。誰だって、自分に興味のある人と話すほうが面白い。

そして、そのようにして作った知り合いは、これからあなたにとって大切な財産になる。有名どころの偉い人は、どうせ自分とそんなに親しくしてくれないし、早く退官しちゃう。年齢の近い友人を増やすほうが、長い目で見たらベネフィットが大きい。

7.連絡先を教えてくれた人には、数日後に挨拶メールを送ろう

これもある種の礼儀だ。たいしたことを書く必要はない。「何々学会のときに(お話させていただいた/座長をしていただいた/質問していただいた)某です。その節はありがとうございました。今後もよろしくお願いします。」で十分である。ちなみに連絡先はもらった名刺に書いてある。いちいち尋ねなくてもよいのだ。

もっとも、あなたがそんなメールを送ったところで、返事がくることは多くない。では何のためにそんなことをするかというと、覚えてもらうためだ。後日メールを受け取った人は、えーと誰だったかなと一度は思い出そうとするのだ。だって、大事な人だったら返事をださなくてはならないから。しかし、思い出してみたら新米院生のあなただったとわかり、じゃあいいか、と放置される。

それでも、一度思い出してもらったことは、次回に役立つのだ。次回、別の学会などでその人に会った時、思い出してもらえるか。このお礼メールが左右すると言っても過言ではない。

以上、思いつくままに並べてみた。放任主義の研究室にいる若手院生の参考になれば幸いだ。 

2012年7月24日

今は暑いか? そして暑いとはどういうことか?

昨夜のNHK総合、クローズアップ現代「"そこに自分の考えはあるか" 音楽評論家・吉田秀和の遺言」は見応えがあった。そして、ここ数日考えていた、この暑さについての自分の考えを述べてみたくなった。

テレビは(NHKも!)さかんに暑い暑いと連呼するが、今年の夏は去年より暑くない。少なくとも僕の住んでるところはだ。なのに、会う人会う人「暑いですね」と言う。その言葉のほうがずっと暑苦しい。

僕は暑くないと言いたい訳ではない。夏だから暑いし、ヒートアイランドで30年前よりは暑くなってるけれど、一億総暑いみたいにわめくほどは暑くないということを言いたい。

だいたい、エアコンの効いた自宅から自家用車で出勤し、もちろん車内はエアコンを効かせて、駐車場からやはりエアコンの効いた教員控え室まで1分くらい歩くのに、暑いもくそもあるかよと思う。うちなんか扇風機すらまだ使ってない。うちわで十分だ。

研究室は日当りがよいのでさすがに今日は冷房を入れたが、うちの大学のキャンパスは節電のために中央管理で冷房を27度に設定してあるのだが、十分である。うちわを併用すれば何の問題もない。

冷房の設定温度が27度でも、実際には30度くらいになる。暑いのは暑いよ。でも、夏なんだから暑くていいじゃないか。室温が35度なら困るが、30度なら夏だ。エアコンの普及していなかった30年前でも、日中は30度くらいになったものだ。

週に1、2回自転車通勤をしているが、明らかに去年より暑くない。朝方は日差しもさほどきつくないし、照り返しもない。走れば風があたって涼しい。汗はかくが、大学についたら濡れタオルで身体を拭いて着替えると快適だ。帰宅したら水浴びでやはり快適だ。

そこで考えたのだが、そもそも「暑い」ってどういうことだろうか?

暑くないとかいいながら、自転車で40分も走るとやはり「暑い」。でもその暑さは着替えれば解消する。つまり、「暑い」と思っていたのは、実は「汗ばんで気持ち悪い」ということだったのだ。

夕方うちに帰ったときも「暑い」。が、その暑さの正体は「自分の身体が熱い」である。だから水を浴びて冷やせば解消する。

午後3時ごろに外を歩くと「暑い」。が、感覚をとぎすませてみると、気温が高いのではなく、「日差しが強く」「照り返しがきつい」のだ。信号待ちなど、日陰に入ると全然違う。運悪く交差点に日陰がないときは、交差点のだいぶ手前の日陰で信号待ちをすることでかなりしのげる。

ほかにも、われわれが何も考えずに「暑い暑い」と連呼しているのは、よくよく吟味してみると、その正体は「のどがかわいた」とか「自動車が熱をもってる」とか「湿度が高い」とかだったりする。なのに、自分の感覚にもとづいて「暑い」の内実を考えることなしに、すぐにエアコンをつけたがるのはよくないと思う。エアコンは閉鎖空間の空気を冷やす機械であって、のどの渇きを潤したり、汗をかいた服を乾かしたり、太陽の光をさえぎったりする道具じゃない。のどが乾いたら水分補給、汗をかいたら汗を拭く。身体がほてったら水浴びする、日差しが強ければ日陰にゆく、と個別の対応をするべきだ。

夕方のNHKニュース(近頃のNHKは「暑い暑い」と「ロンドンオリンピックはまだはじまってなくてネタがないけど騒ぐぞ」しかやらない)で、熱中症で搬送された人の数が過去最高だと言っていた。だがそれは暑いからではなく、暑さの多様な側面に頓着せず、ばかの一つ覚えでエアコンに頼っているからではないのだろうか?

2012年7月 3日

ふたたび「雑食動物のジレンマ」〜なぜ生レバーは危険な食品になったのか?

厚生労働省は7月1日以降、飲食店等で生レバーを出すことを禁止した。禁止した理由は、生レバーにはO157などの毒性の強い大腸菌が含まれている可能性が高く、危険だからだ。

危険だから禁止しているのに、NHKを含むマスコミは6月末に焼肉店等で駆け込みで生レバーを食べる人たちを面白おかしく報道し、生レバー食を煽った。もしあれで被害がでていたらどうするつもりだったのだろう?

僕はユッケは好きだったので、去年のユッケ禁止は残念だったが、生レバーは別に好きじゃないのでどうでもいい。それはともかく、もはや牛の臓器は生で食べてはいけないということをよくよく認識したほうがよさそうだ。

生レバーにせよユッケにせよ、法的に禁止するのはおかしい、というような議論がある。生レバーや生肉を食べる食文化は、国内外で長い時間をかけて育まれてきたものだ。昔からリスクはあった。リスクのない食品なんてない。たまたま衛生管理のよくない店で食中毒が発生したからといって、全面禁止はおかしい。リスクを周知して、自己責任で食べるようにしたらいいではないか、というわけだ。

なんでもかんでも法律で禁止するのは僕も嫌いだ。だが、この議論には賛成できない。なぜなら、この議論は、今あるリスクが昔からあったものだとしているが、それは大きな間違いだからだ。

そう、昔は生レバーや生肉による感染リスクは低かったのだ。しかし、肉牛の身体は人間を詞に至らしめる病原性細菌によってすっかり汚染されてしまっているのだ。

なぜそんなことになったのだろう?マイケル・ポーランの「雑食動物のジレンマ ──ある4つの食事の自然史」によると、それは現代の肉牛は牧草でなくトウモロコシ飼料を食べているからだという。

牛は本来、草食動物だ。しかし、栄養価の低い牧草で育てるより、高カロリーのトウモロコシ飼料で育てた方が効率的だ。だから今の肉牛はトウモロコシで育つ。

牛の腸内にもたくさんの腸内細菌がいる。草を食べる牛の腸内はほぼ中性なので、腸内細菌は中性の環境に適応している。

これに対して、雑食動物である人間の胃は強い酸性である。牛の腸内細菌に汚染された肉やレバーを摂取しても、それらの細菌は胃を通過できずほとんど死滅してしまう。だから生で食べてもそんなに危険はない。

ところが、トウモロコシで育つ牛の腸内は人間に負けず劣らず酸性である。そのため、腸内細菌は酸性に適応する。だから、トウモロコシで育った牛の腸内細菌は人間の胃をスルーできる。

それらの腸内細菌は人間だけでなく牛にも有害である。だから牛たちはたくさんの抗生物質を投与されて育つ。すると、抗生物質に耐性のある、強烈な大腸菌が進化した。

その中には、人間に感染すると重篤な症状をひきおこすものがある。O157はその一種だ。だから、今の牛は危険なのだ。

ユッケや生レバーの事件や、産地偽装問題、数年前の農薬入り冷凍餃子事件などによって、われわれは、食卓にあがる前の食品がどう扱われているかについて無知だったことを思い知った。そして、そういうことにとても敏感になった。おかげで食品業界は衛生管理にものすごく気を使わねばならなくなった。

それ自体はいいことだ。だがわれわれは、食品が食品になるまでのプロセスについては、食品の取扱いプロセス以上に無知なのだ。見た目は同じ生レバーでも、どこで生産された牛のレバーなのか、その牛はどんな餌を食べていたのか、そしてその餌はどうやって栽培されたのか、を考えると、今の生レバーは昔の生レバーとはまるきり別物であることに気づく。

本当に食文化として生レバー食を守りたいのなら、そういうことに目をつむって法律に反対するだけではまったく不十分だ。食文化としての生レバー食は、肉牛の飼育に関する文化によって支えられていたのである。法律による禁止が食文化を破壊するのではない。逆である。食文化が破壊されてしまったから法律で禁止するのだ。

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