動物園と学校の息の長い連携
モンキーセンターには子どもが学習すべきことがある
ガボンでフィールドワークをしつつ、「子ども学科」の教員をしているYuji Takenoshitaのブログ
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2011年1月30日
モンキーセンターには子どもが学習すべきことがある
2011年1月23日
先日やっと卒論発表会が終わった。あらためて、学生に文章を書かせることの大変さを実感した。どうしたら学生が「書ける」ようになるのか。4年間かれらと接してきて、「書けない」ことの背景にあるさまざまな問題は理解できた。しかしどうすればいいのかわからないでいる。
学生が(というか人が)文書を「書けない」ということは、次のようないくつもの「できない」の複合産物である。
これらをひとつひとつクリアするのは難しい。たとえば単語帳を使って語彙を増やしたところで文章が書けるようにはならないし、文章構成などの作文作法を教えても、言葉を知らなければ文が書けない。あちらをたてればこちらがたたずで、個々の能力を高めるためのトレーニングをしても作文は改善されないので、学生たちもトレーニングの効果を実感できず、長続きしない。
本書には、これらいくつもの「できない」をまとめて克服するためのさまざまな方法が提案されている。たとえば「こぼちゃん作文」。4コマ漫画の「こぼちゃん」を"ノベライズ"するという課題だ。状況説明だけでなく、面白さもちゃんと伝わるようにしなくてはならない。
スゴイ!と思ったのは、「考えるとはどういうことか」についての割り切った考え方だ。著者は考えるということを「似ているものをさがす」「別の言葉で言い換える」「別のものと比較する」など12の行為に分ける。そして、考えるとはそれら12の行為の一部または全部を行うことであると言い切る。
たとえば「メガネについて考えを述べよ。」と言われたら、とりあえず「メガネ」を別の言葉で言い換えてみたり、コンタクトレンズと比較したり、メガネと似ているものを探したりすればよい。そしてそれらを文章に記せば、それは「メガネについての考え」をまとめたことになるのだ。「メガネとは視力矯正器具である。メガネに似たものにはコンタクトレンズがある。コンタクトレンズは小さくて眼球に張り付けるものだが、メガネは普通フレームにはめられた凸面ガラスである。」という感じ。今ぼくはこの文章を何の資料も用いずに書いた。ということはこれが僕のメガネについての「考え」だが、これはまずメガネを別の言葉(視力矯正器具)で言い換え、そして似ているもの(コンタクトレンズ)をあげ、それとメガネとを比較しただけである。
これは一見事実の羅列に見えるが、そうではない。ぼくのオリジナルの考えだ。なぜならメガネ=視力矯正器具とは限らないからだ。「メガネとは視力矯正器具である」と言い切ったのはぼくにほかならない。
考えを述べるってこんなんででいいわけ? という学生の驚くようすが目に浮かぶようだが、これでよい。少なくとも何も書けないよりずっとましだ。こんなんでいいなら、きっと学生もとりあえずすいすい書けるだろう。内容が優れているかはともかく。
この「とりあえず書ける」ということはとても大事だ。なぜなら「とりあえず書く」ことで考えは深まるからだ。現にぼくは今とりあえず書いたことで、視力を矯正しない伊達メガネもあるじゃないかとか、コンタクトレンズがメガネと似ているのは機能面であって、形なら水泳用のゴーグルが似てるじゃないかとか、いろんなことを自然と考えはじめた。
こうしたノウハウはもともと子どもたちへの作文指導のノウハウとして著者が開発してきたものだそうだ。だが、十分大人にも通用する。来年の卒論指導用のテキストとして採用したい。
2011年1月18日
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2011年1月12日
2011年1月 5日