2009年5月31日

学会準備

今年はうちの大学を会場にして日本霊長類学会を開催する。

第25回日本霊長類学会大会

去年からその準備をしているのだが、いよいよ大会まであと2ヶ月を切った。なんだか、てんやわんやである。

ひとつひとつの作業はそんなに大変じゃないんだけど、すべてをまとめてきりもりするというのが難しい。実行力っていうのは、作業を行なう能力じゃなくて、作業をマネジメントする能力だということを思い知ると同時に、自分の実行力のなさを実感している。

ううー。そんなわけでブログ更新も滞りがち。今月も10回更新はならず...。

2009年5月16日

ダビンチ・コード

娘を連れてったついでに、図書館で「ダビンチ・コード」のDVDを借りて観た。公開された時は、えらい流行っていたし、バチカンだかどっかだかが「キリスト教を冒涜している」として批判したとかなんとか言ってたので、期待していたけど...。

すっごい駄作じゃない? これ。

退屈だったよー。2時間半だよ。なんか、伏線めいたことがいっぱいあったのに、消化不良のまま流されてうやむやになった感じ。

それに、最後の暗号...。ニュートンだから重力で、重力といえばりんごですか...。あんまりではないですか。

しかも、今テレビつけたら、テレビでやってるし。まあいいか。図書館は無料だから。

新型インフルとアフリカ、そして大型類人猿

新型インフルの国内感染例が発表された。

報道を追っているだけだが、今のところ、

  • おそろしく感染力が強い
  • だが、病原性は高くない。治療すればたいてい治る。死亡率は約1%。これは、初期のメキシコでの流行による死亡者を含めた値である。
  • タミフルは効く。しかしワクチンはない。
  • 動物からヒトに感染することが確認された?
  • ヒトからヒトに感染することが確認された。
  • ヒトから動物に感染した可能性のある事例が確認された?
  • アフリカ大陸での感染例は確認されていない。
いくつか疑問がある。

まず、アフリカでの感染例がないのは、検査体制の不備による確認不足の可能性があるのではないか。まったく事例がないのは信じがたい。

次に、本当に治療しないと死ぬのだろうか? ということ。それから、本当にヒトから動物に感染するのか? ということだ。

思うに、新型インフルは、今のところ先進国ではそれほど怖がる必要はないだろう。感染力が強いとはいえ、治療すれば治るのなら、なるべく感染機会を抑える努力をして、いざとなったら病院に行けばよい。

それより心配なのは途上国だ。水際でのブロックに限界があるのなら、途上国での流行を防ぐための措置に力を入れたほうがよくはないだろうか。たとえば、タミフルを流行国に輸出することで、日本人が渡航先で感染してしまう危険を減らせるだろう。

そして、途上国には大型類人猿がいる。かれらは、感染が確認されても治療することはできない。エコツーリズムを実施しているところでは、何か対策を講じているのだろうか。心配だ。なにせ、今や僕は日本を出てから4日程度でゴリラに会えてしまうのだ。真剣に考えないと。

2009年5月12日

モジツウ

外国語の会話力を磨くにはラジオ講座が一番! と思っている。中学高校6年間、「基礎英語」「続基礎英語」「英語会話」を聴いていたおかげで、一度も海外暮らしの経験がなかったにもかかわらず、海外で英語の人たちと普通に話すことができているのだと思う。

そんなわけで、4月から、NHKラジオの「入門ビジネス英語」「実践ビジネス英語」を聴いている。が、これがおもしろいのだ。おはなしが。

主人公はアメリカの企業で働く日本人ビジネスマン。ビジネス英語だからね。

ところがこの企業が何やってるんだか、わかるようでわからない。
どうやらモバイルコンピュータを開発してるらしい。いや、ひょっとしたらPCメーカーの下請けのプロセッサ会社なのかもしれない。ともかく、ITメーカーなのはわかるんだが、いまいち具体性が乏しいのだ。

なんか、バブルの頃のトレンディドラマの主人公たちの職業みたい。今っぽいのはわかるけど、実のところ、何?って感じ。

で、昨日は、"X5プロセッサ"がフィールドテストで失敗したせいで、"モジツウ"の出荷が早くても9月以降になりそうだっていって騒いでた。"モジツウ"?? 富士通のマネか? それはPCなのか?

ホームページをみてみたが、何にも書いてない。そのうち"モジツウ"の全貌があきらかにされるのだろうか。

ところで、NHKの語学番組のサイトにいくと、先週放送分がストリーミングできるので。知らんかった。

続きを読む "モジツウ"

2009年5月11日

さようならgnome、こんにちはxfce4

Ubuntu 9.04をインストールしたら、起動時間が劇的に早くなった。すると欲がでて、「Ubuntuの起動を19秒にする等のチューニングメモ」を参考にいろいろいじったら、19秒にはならなかったが、22秒まで起動時間を短縮できた。

そしたら、さらに欲がでて、ログイン後のgnomeの起動時間や、操作時の体感速度も改善したくなった。そこで、以前ちょびっとだけ使って、やっぱり使いにくくてすぐやめてしまった、軽量ウインドウマネージャxfce4を導入した。

Ubuntuでの導入はとても簡単。

apt-get install xubuntu-desktop
でOK。

gdmから起動する時に、回転するUbuntuマークの中でxfceネズミが走るのがかわいい。xfce本体も、昔とくらべはるかに操作性がよくなっていて、まったく不満がない。

2009年5月 7日

[書籍] Choosing and Using Statistics: A Biologist's Guide

Amazonアフィリエイトに登録すると、ついつい本の紹介を書きたくなってしまうな...。しかしこれは本当にオススメだ。

Choosing and Using Statistics: A Biologist′s Guide
Calvin Dytham
Wiley-Blackwell
売り上げランキング: 50849

この本は統計学の教科書ではない。だからいろんな検定方法の原理や詳細には立ちいらない。

統計をツールとして(統計ソフトの上で)データ分析をしたい生物学の研究者が、どんな状況でどんな統計手法を使えばよいのかが書かれている。

中でも便利なのは、自分のやりたいこと(データのサマリを得たいのか、比較をしたいのか、関係をみたいのか、探索的にデータを見てみたいのか)と、サンプルの性質(連続変数か、離散変数か、カテゴリーか。サンプル数はどのくらいか)に基いて、適切な統計手法を選択するチャートだ。ここだけ翻訳して持っておきたいと思うほど便利だ。

おのおのの統計手法の実際の計算方法はちょっとしか書かれていない。そのかわり、SPSSなどの統計ソフトでの操作法が書かれている。残念ながらRは含まれていなかった。

学部の学生の頃に読んだ「生物統計学入門」(石居進、培風館)に似てる。しかし、ずっとわかりやすい。

2009年5月 5日

江戸時代の子育ては「正直」と「慎み」

ゴールデンウィークとは、昼間に家庭(娘)サービスをして、夜に押しまくってる仕事をする日々のことであったよ...。3日連続で連れ出して遊んでやったおかげで、さすがに今日はワガママを言わぬ娘であった。というわけで、午前中は図書館の視聴覚コーナーでビデオ観賞してもらうことに。

とはいうものの、このご時世、目を離すわけにもゆかず、つきそいである。僕が小2のときは、一人で県立図書館に行って本借りてたのに...。

つきそいながら読んだのがこの本。


江戸に学ぶ人育て人づくり (角川SSC新書)
小泉 吉永
角川SSコミュニケーションズ
売り上げランキング: 173605

著者は「往来物研究家」を自称している。「往来物」とは、江戸時代にいろんな人がものした、まあ教科書のようなものである。その中から、子育てや人育てに関する書物を集め、江戸時代の子育てや「人生指針」がいかなるものだったかを探求したのが本書である。

「◯◯の子育て」(◯◯には地名や歴史区分や動物種を挿入)といった本にありがちな、「今の子育てはまちがい。◯◯を見習うべき」というおしつけがましいところがなく、原典を読みながら「へぇー、そうだったんだー」と素朴に驚いている著者の姿が目にうかぶような本だ。僕も読んでいて「へー」と思うことしきりであった。

庄屋さんが子孫のために書いた「茶飲み話」や、文筆家のものした教育論など、子育てや人材育成はずっと昔っから人々の関心事だったのね、と感心。

特に子育てに関する部分を真剣に読んだが、いろんな書物に共通しているのは、


「子どもを幸せにする」「子どもを丸ごとうけとめる」といった視点がまったくない。

ということだ。


現代社会では、子育ての目標って何だろう、みたいなことで多くの人が悩んでいて、僕も悩んでたりする。そして、悩める僕たちに、育児のオーソリティたちは「子どもの最大限の幸せですよ」とか「子どもには無限の可能性があるんですよ。それを伸ばしましょう。」とか、いろんな難しいことを求めてくる。

本書に出てくる江戸時代の子育て指南は、そうしたことと無縁だ。子どもを幸せにする、といった視点自体がない。というと少し言いすぎだろうか。でも、江戸時代の幸せって「とんでもなく不幸にならないこと」だったんだなあ。

まあ、現代の子育ての目標が「子どもの利益(幸福)の最大化」だとしたら、江戸時代のそれは、「子どもの最小限度の幸福の保障」だと言える。

最小限度の保障だから、最大化のためと称して「おかしなこと」をせよと言わない。おかしなことっていうのは、たとえば「うつぶせ寝」とか「カンガルーポジション」とか「ゆとり教育」とか「インド式計算」とか「伝統遊びの継承」とかだ。そんなややこしくて、耐用年数の短いことなんか言わない。至ってシンプルである。


「子どもには『正直』を教えなさい」


正直者に育てておけば、子どもは没落したりせず、つつがなく生きられる。ここで正直というのの中には、嘘をつかないだけではなく、出し抜いたり欲をかいたりしない、慎み深さも含まれている。

本書を読んだ最初の感想は、「そうそう、子育てなんてそれでいいよね。子どもの最大の幸せとか自己実現とか、そんなんじゃなくって、「つつがなく」生きられればさぁ」というものだった。

とはいえ、じゃあ今後は家の子には「正直」だけを教えてればいっか、というわけにも、やっぱりいかないんだよね。それはやっぱり、現代社会を生きる身である自分の中に、自己実現したいとか、幸福追求したいという気持ちがあって、自分の子にも同じようにそういう道を準備してやりたいと思うからだ。

それに、江戸時代だって、かくもたくさんの「子育てマニュアル」があったということは、やっぱりみんな子育てに悩んでたってことなんだよね。

でもまあ、「ねばならない」式の話ばかりの昨今、異文化や昔の子育てマニュアルを読むのはいい気分転換になる。最近、僕のまわりでは、もうすぐ出産だとか、もう出産したとかいう人が増えているが、彼女たちにも一読をおすすめしたい。