「セックスの人類学」シンポジウム
先週末は東京で「セックスの人類学」シンポジウムだった。疲れた。
1994年に嵐山のニホンザルのオスの同性愛行動を観察して以降、「性」に関する研究会やシンポにたびたびお呼びがかかる。だが、今回は僕が発表やコメントを依頼した人を除いて、発表者、参加者とも初めてのご縁の人たちがほとんどだった。そんな中、文化人類学者のTさんは数少ない「常連さん」だった。性に関する研究会のときには必ず出会うが、それ以外でお会いすることがないので、セックスだけの間柄だね、などと懇親会で冗談を言いあったりした。
そんなわけで、過去に何度もしている性の話はやや食傷ぎみ、という思いと、人や視点が違えば、またなにか新しい発見があるかもしれないという期待がないまぜになった状態で参加した。で、どうだったかというと...
結果的には、ひとつひとつの発表はとても刺激的だったけれど、以前に参加した研究会などを超える、新しい展開をするには、もうひとつ何かが足りなかったな、という、物足りなさが残った。
いくつか新しい試みはあった。たとえば、鯨類の性行動の発表。これまで、ヒトの性を理解するのに、霊長類以外の性行動がひきあいに出されることはなかったのではないかと思う。これが「繁殖」の話ならそんなことはないのだけれど、繁殖にかかわらない、性器を使ったさまざまな性行動は、ヒトやヒトに近縁な動物の専売特許ではないということがよくわかった。
また、今回はオーガナイザーである桜美林大の奥野さんの発想で、性行為そのものを、「グロテスクなまでに、その息遣いまで」記述するということを試みた。これは、すべてうまくいったとはいえなかったが、それなりに面白かった。シンポの第二部でヒジュラの性について発表してくれたお茶大の國広さんが、新参ヒジュラが、はじめてグルと一夜を共にしたあと、調査者に対してうれしそうに「こするのよ」と話したというエピソードを紹介してくれたが、ヒジュラの性に、わずかながら感応することができたような気がした。
それから、今回は、動物だろうが人間だろうが、また、行為の内実にかかわらず、「交尾」とか「性行為」などと言葉をわけず、どの発表者も「セックス」という表現で統一してみよう、という試みもあった。しかし、う〜ん、これは...おもしろいといえばおもしろい試みだったけど、なんか、いまいちでしたね。
このシンポは出版企画につながっている。だから、これで終わりというわけではなく、シンポでなされた議論や、あらたに出てきた問題点などを整理しつつ、原稿につなげてゆくことになる。しかし、なんというのかな。セックスについて、あーおもしろかった、という議論って、なかなかできないものなのだなぁ。
さっきも言ったように、ひとつひとつの発表は面白かった。だが、全体の軸というか、幹というか、それがなぁ。結局は、みんなが自分の私的なセックス観を発表やコメントに載せて表明しあった、というところを抜け出せていない気がする。とはいうもの、そもそも、抜けだしたときに、それは「セックスについての」議論でありうるのか、という疑問も湧いてくる。でも、抜け出せないものなのだとしたら、シンポや出版の意味はなに?ということになる。猥談でも学問でもない何か、か。
とまあ、現時点では不満のほうが先に出てくるのだが、今回はじめて得られた着想や、数回目にしてようやく見えてきたものが、なかったわけではない。それは今の段階では不確かな断片にすぎないが、これから言葉にしてゆこうと思う。